1975年、メインキャストの一人として抜擢されたテレビドラマ「俺たちの旅」で、青春スターとしてブレイクすると、以来、40年以上にわたり、俳優として活躍を続けている、田中健(たなか けん)さん。今回は、そんな田中さんのデビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。

「田中健が若い頃は「俺たちの旅」でブレイク!」からの続き

Sponsored Link

出演作品(映画)

それではここで、田中さんのデビューからの主な出演作品をご紹介しましょう。

映画では、

1974年「サンダカン八番娼館 望郷」
1975年「青春の門」
     「鴎よ、きらめく海を見たか・めぐり逢い」
     「青い山脈」


「鴎よ、きらめく海を見たか・めぐり逢い」より。高橋洋子さんと田中さん。

1976年「挽歌」
     「遺書 白い少女」
     「憧憬」
1977年「青春の門・自立篇」


「憧憬」より。多岐川裕美さんと田中健さん。

1978年「聖職の碑」
     「火の鳥」
     「ピンク・レディーの活動大写真」
1979年「暴力戦士」
     「衝動殺人 息子よ」


「衝動殺人 息子よ」より。田中さんと若山富三郎さん。

1983年「真夜中のボクサー」
1984年「ゴジラ」
1986年「新・喜びも悲しみも幾歳月」
     「キネマの天地」
1987年「青春かけおち篇」
     「はいからさんが通る」


「はいからさんが通る」より。南野陽子さんと田中さん。

1993年「望郷」
1996年「薔薇ホテル」
1998年「絆 -きずな-」
2005年「不良少年(ヤンキー)の夢」
2008年「20世紀少年 第一章(写真)」

2010年「苦い蜜」
2011年「夜明けの街で」
     「五日市物語」
2019年「あなたがここにいるだけで : むなかた三姉妹物語」
     「めんたいぴりり」


「めんたいぴりり」より。

出演作品(テレビドラマ)

テレビドラマでは、

1974年「春のもつれ」
1975年「俺たちの旅」
1976年「六丁目のスパルタ寮母さんには、赤いバラのいれずみがあった!」
1977年 NHK大河ドラマ「花神」
1978年「江戸の鷹 御用部屋犯科帖」


「花神」より。

1979年 NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」
1980年「青春諸君!夏」
1981年「関ヶ原」
1982年「花祭」
1983年 NHK大河ドラマ「徳川家康」


「徳川家康」より。

1984年「日本の面影」
1986年「白虎隊」
1987年「必殺剣劇人」
1988年「愛の劇場・心変わり」
1990年「江戸中町奉行所」


「必殺剣劇人」より。

1992年「学校があぶない」
1993年「素晴らしきかな人生」
1994年「京都映画女優殺人事件」
1995年「橋田壽賀子ドラマ 魔の季節」
1996年「新任判事補3」

1997年「フォトグラファー桜井美由紀2『死都物語』」
1998~1999年「痛快!バツイチ・トリオ 女だけの便利屋事件簿シリーズ 」
2000年「名探偵キャサリン9『シドニー・メルボルン殺人事件』」
2001年「女と愛とミステリー『主婦探偵・河原綾子のぞき見事件簿』」
2002年 NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」


「利家とまつ~加賀百万石物語~」より。

2003、2010、2015、2019年「水戸黄門」
2004~2012年「女タクシードライバーの事件日誌シリーズ」
2005年「女金融道シリーズ2」
2006年 NHK大河ドラマ「功名が辻」
2007年「屋台弁護士II」


「水戸黄門」より。

2008年「クッキングパパ」
2009年「鬼平犯科帳スペシャル〜雨引の文五郎」
2010年「血痕3 警科研・湯川愛子の鑑定ファイル」
2011年「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」
2012年「ヤメ検の女(3)」


「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」より。

2013年「釣り刑事4」
2014年「血の轍」
2015年「税務調査官・窓際太郎の事件簿29」
2016、2019年「銭の捜査官 西カネ子シリーズ」
2017年「警視庁南平班〜七人の刑事〜10」
2018年「静おばあちゃんにおまかせ」


「税務調査官・窓際太郎の事件簿29」より。小林稔侍さんと田中さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

Sponsored Link

「俺たちの旅」出演中には俳優を辞めたいと思っていた

ところで、田中さんは、1975年、テレビドラマ「俺たちの旅」のオメダ役でブレイクしているのですが、実は、途中くらいまでは俳優を辞めたいと思っていたといいます。

というのも、当時、田中さんは、それまでずっと、本番が唯一の練習のような感じでやってきたことから、役作りの仕方も、役の捉え方も、セリフの背景の考え方も、何をどうやっていいか分からず、カメラの前に立つのが辛かったというのです。

(現場でみんなで物を作ることは好きだったため、スタッフになりたかったそうです)

ただ、その自信のなさは、オメダそのものだったそうで、

まさしくそうでした。ですから、今見るとそれなりにいい芝居をしてるんです。全然芝居をしていないから。現場では(「グズ六」役の)秋野さんが芝居を動かしていました。凄く様子を見ながらやる人なんです。

たとえば、本番で僕がぼうっと芝居していると、アドリブでいきなりバーンと殴ってくる。今なら「先輩、何するんですか!」とか対応できるかもしれないですが、当時は何もできなくて止まってしまう。

でも、それがオメダなんです。そこで止まるのがオメダ。芝居じゃなくて、自分そのままをやっていたんです。

あそこでちゃんと返していたら、あのオメダの純粋さは出なかったかもしれません。そこまで秋野さんが理解してやっていたのかは分かりませんが──

と、かえって結果的には良かったそうで、

僕は「俺たちの旅」がなかったら、おそらく今は俳優をやっていないんじゃないですかね。そのくらい大事な、歌手にとっての大ヒット曲のようなものです。

その前も「青春の門」などのいい作品をたくさんいただきましたが、やっぱり全国区にしてくれたのは、これですから

と、今では感謝しているとのことでした。

「田中健はケーナ奏者としても活動していた!」に続く


「俺たちの旅」より。(左から)秋野太作さん、田中さん、中村雅俊さん。

Sponsored Link