小学3年生の時、舞台「人形の家」で子役デビューして以来、60年以上に渡り、芸能界で活動している、せんだみつおさん。今回は、そんなせんださんの生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

せんださんは、1947年7月29日生まれ、
樺太(サハリン)真岡市出身(東京都杉並区育ち)、

身長164センチ、

血液型はO型、

学歴は、
日南市吾田小学校→杉並区立西田小学校
⇒杉並区立松渓中学校
⇒法政一高
⇒駒沢大学経済学部中退
⇒服部栄養専門学校

趣味は、
ゴルフ、読書、映画鑑賞、

特技は、
料理だそうです。

本名は?芸名の由来は?

せんださんの本名は、「中野光雄(なかの みつお)」で、当初は、「ムッシュ中野」名義で、フォークユニット「ビリー・バンバン」の付き人兼司会をやっていたそうですが、

ニッポン放送のディレクター・上野修さんにスカウトされてラジオ番組「ワイドワイドサンデー」のレポーターに起用されると、上野さんにより、「千のうち3つしか本当のことを言わない」という意味から、「せんみつ」⇒「せんだ みつお」と名付けられたそうです。

(最初は漢字だったそうですが、声優で「千田光男」さんという同じ名前の人がいたことから、失礼になる、という理由でひらがなになったのだそうです)

また、せんださんは、「せんだみつお」「ムッシュ中野」のほかにも、「千田光雄」「せんだ光雄」の芸名で活動していたこともあるそうで、2000年には、1年間限定で、「二千田光雄(にせんだ みつお)」、2009年には、3ヶ月のみ「浦島みつお」を名乗っています。

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父親がソ連に抑留中に子作りした子供だった

さておき、せんださんのお父さんは、王子製紙のエンジニアだったそうで、工場のあった樺太に派遣され、そこの土地で、せんださんのお母さんと知り合い、結婚したそうで、せんださんは、そんな両親のもと、2人兄弟の次男(お兄さんは17歳年上)として、樺太の真岡という町で誕生したそうです。

ちなみに、せんださんが誕生したのは、1947年(昭和22年)なのですが、そうなると、お父さんが子作りをしたのは1946年(昭和21年)という計算になり、ちょうど、その頃は終戦後で、お父さんはソ連に抑留中だったことから、

せんださんが、

よくそんなときに仕込んだね

と、言うと、

お父さんには、

ばかやろう、また戦争が始まったときに兵隊さんが足りなかったら困るだろ

と、(せんださんいわく)訳のわからないことを言われたそうです(笑)

「せんだみつおは小3の時に児童劇団「杉の子」にスカウトされていた!」に続く

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