「ワゴンでデート」「ミッドナイトムーブメント」「ラジオカウント」「セイ!ヤング」「ハローパーティー」など、深夜ラジオ番組の司会で人気を博していた、せんだみつおさんは、その後、テレビの情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」の司会に抜擢されると、たちまち、大ブレイクとなります。
「せんだみつおは落語家の林家三平を尊敬していた!」からの続き
情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」の司会で大ブレイク
「ワゴンでデート」「ミッドナイトムーブメント」「ラジオカウント」「セイ!ヤング」「ハローパーティー」など、深夜ラジオ番組の司会で人気を博していたせんださんは、1972年には、キャシー中島さんと共にテレビの情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」(平日毎日17:00~17:30)の司会に抜擢されているのですが、
当時、「ゴミ箱」と呼ばれ、視聴率の取れない平日の夕方の時間帯にもかかわらず、あれよあれよと人気を博して、視聴率は2桁を突破する大ヒットし、テレビのバラエティ番組の司会者としても、一躍、ブレイクを果たします。
「ぎんざNOW!」より。中央の2人が司会のキャシー中島さんとせんださん。
(中・高校生が学校から帰宅して観るようになったことから、視聴率が急上昇したそうで、後に、放送時間が17:00~18:00に拡大されています)
テレビの人気が低迷していた
実は、ラジオ番組で活躍していたせんださんが、テレビ番組「ぎんざNOW!」の司会に抜擢された背景には、テレビが人々から飽きられていたという事情があったそうで、
テレビは、1953年に放送が開始して以来、常に娯楽のトップに君臨していたのですが、1970年代始め頃には、一時、人気が低迷し、深夜ラジオが人気を博していたのだそうです。
テレビを深夜ラジオのようにする動きが始まっていた
そんな中、テレビ業界が、テレビの勢いを盛り返すべく、テレビを深夜ラジオのようにしようと企画すると、関西では、「ヤングオーオー」が高視聴率を記録したため、
(つまり、それまでの品行方正なスタイルから、従来のバラエティ番組を打ち破るようなハチャメチャなスタイルに移行していったのだそうです)
東京でもそのような番組を作ろうと、TBSが、「ヤングオーオー」同様、若く勢いのある、司会者、出演者、素人を取り込んだ番組の企画を進めたそうで、
深夜ラジオのDJから、「セイヤング」「ハローパーティー」などでハチャメチャな司会が人気を博していたせんださんに白羽の矢が立ったのでした。
「ぎんざNOW!」の作家の奥山伸から言われオーディションを受けていた
ちなみに、せんださんは、「ぎんざNOW!」の作家の奥山伸さんから、
今度、番組やるから、オーディションに行ってみろ
と、言われ、オーディションを受けに行くと、見事合格したそうで、
(せんださんと奥山さんは、当時、大橋巨泉さんと同じ事務所に所属していたそうです)
その後、テレビに出演するにあたり、2日間、缶詰状態で、奥山さんから、言ってはいけない言葉や天皇制のことなどをみっちりと教えてもらったのだそうです。
(奥山さんには、この時以来、ずっとお世話になっているそうです)
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