「ワゴンでデート」「ミッドナイトムーブメント」「ラジオカウント」「セイ!ヤング」「ハローパーティー」など、数々のラジオ番組に引っ張りだことなった、せんだみつおさんは、「ハローパーティー」では、落語家の(初代)林家三平さんがゲスト出演してくれたそうで、これがきっかけで、林家さんとの交流が始まったといいます。今回は、そんな林家さんとせんださんの出会い等をご紹介します。

「せんだみつおは昔「ダメな男のロック」で歌手デビューもしていた!」からの続き

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憧れのラジオ番組「ハローパーティー」のレギュラーに起用される

せんださんは、ずっと憧れていたという、文化放送のラジオ番組「ハローパーティー」に、1975年4月から、月・火曜日のレギュラーに起用されているのですが、この「ハローパーティー」では、今でも忘れられない出来事があったといいます。

(「ハローパーティー」は、土居まさるさん、みのもんたさん、落合恵子さんがDJを務めて人気を博した文化放送のラジオ番組で、せんださんは、それまで、土居さんが休みの時に代役を務めていたそうです)

尊敬していた林家三平が「ハローパーティー」にゲスト出演してくれた

というのも、ある日のこと、せんださんがとても尊敬していたという林家三平さんが、「ハローパーティー」にゲストとして来てくれたそうで、

せんださんは、

今日のハローパーティー、はい、おなじみの林家三平師匠です。どうぞー

どうも師匠、師匠!

と、言ったそうですが、

林家さんはというと、

あのね洗濯屋さんね、洗濯屋さんね

と、言ったそうで、

せんださん:あの洗濯やじゃありません、せんだです

林家師匠:あっ、洗濯屋さん?

せんださん:洗濯屋じゃありません、師匠。せんだみつお

林家師匠:あ、洗濯屋みつおさんですか

とのやりとりが続いたのだそうです。

林家三平の心遣いに感動していた

しかし、番組が終わると、林家さんはせんださんの楽屋に来てくれ、

せんだくん、ごめんね。洗濯屋、洗濯屋って言っちゃって。 あれはね、せんだみつおさんって名前をみんなに覚えさせるために、わざとぼくは洗濯屋さんって言ってたの

と、言ったそうで、

せんださんは、

ありがとうございます

と、言いつつ、林家さんの心遣いにとても感動したのだそうです。

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林家三平とはずっと交流が続いていた

このことがきっかけとなり、せんださんと林家さんは、1980年に林家さんが他界するまで交流が続いたそうで、せんださんは葬儀にも参列し、その後、お線香を上げに自宅に行った際には、林家さんの往年のネタである、

あーどうもみなさま加山雄三です

をやって、盛り上がったそうですが、

その時、奥さんの海老名香葉子さんから、すごい話を聞いたといいます。

それは、林家さんが亡くなる1週間前のこと、病院に家族が呼ばれ、海老名さんは、まだ幼かった、(9代目)林家正蔵 さん、海老名美どりさん、まだ若手だった、林家こん平さんを病室に連れて行ったそうですが、その時には、林家さんはすでに危篤状態だったそうで、

それでも、せっかくみんなが来てくれたのだからと、医師が、

師匠、師匠、ご家族が来てますよ。師匠、師匠、お名前を言ってください、師匠、お名前は?

と、耳元で言うと、

なんと、林家さんは、鼻と口から管を入れられ、意識不明の状態でハァーハァー言っていたにもかかわらず、

はい、加山雄三です

と、言ったというのです。

ちなみに、この話を聞いたせんださんは、

天才だね、三平師匠は。私も絶対「ナハ」ってやりたい。

と、語っています。

「せんだみつおは若い頃「ぎんざNOW!」の司会で大ブレイクしていた!」に続く

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