1995年、バラエティ番組「スーパーJOCKEY」に出演すると、かわいい容姿に似合わない毒舌ぶりでたちまち大ブレイクし、バラエティ番組にひっぱりだことなるほか、女優としても、テレビドラマ、映画、舞台に出演されている、辺見えみり(へんみ えみり)さん。今回はそんな辺見さんのルーツである、歌手で俳優の父・西郷輝彦さんについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

辺見さんは、1976年12月16日生まれ、
東京都のご出身、

身長166センチ、

スリーサイズは、85-58-87、

靴のサイズは24センチ、

血液型はB型、

学歴は、
港区立白金小学校
⇒世田谷区立塚戸小学校 
⇒世田谷区立千歳中学校
⇒日出女子学園高校中退

趣味は、
料理、読書、パソコン、アロマテラピー、絵画、写真、ダーツ、ドライブ、ゴルフ、

特技は、
作詞、衣装デザイン、クラシックバレエ、

ちなみに、本名は「逸見絵実里(へんみ えみり)」です。


赤ちゃんの頃の辺見さん。

父親は歌手で俳優の西郷輝彦

辺見さんのお父さんは、歌手で俳優の西郷輝彦(さいごう てるひこ)さんです。

西郷さんは、2人のお兄さんに大きな影響を受けて育つのですが、9歳で2番目のお兄さん、15歳で1番上のお兄さんを相次いで亡くし、大きなショックを受けると、

特に憧れていた、地元のジャズドラマーだった1番上のお兄さんの影響もあって音楽で生きていく決心をし、高校1年生の夏休みには家出して、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」のメンバー募集コンテストに参加。

しかし、コンテストにはあえなく落選し、その後、なんとか、シンガー兼下働きとして、ジャズ喫茶回りをするバンドにもぐりこむと、来る日も来る日も楽器や機材などの荷物を運ぶ雑用係が続き、そのうえ、凄まじいイジメに遭うなど先行きの見えない不安な日が続きます。

父・西郷輝彦は「御三家」と呼ばれる人気アイドルだった

そんな西郷さんですが、ある日のこと、「ナンバ一番」で歌っているところを、当時、芸能プロダクションのマネージャーをしていた相澤秀禎氏(後のサンミュージックプロダクション代表取締役会長)にスカウトされて上京を決意。

上京後は、しばらく仕事がない日々が続くのですが、1963年、「コロンビアレコード」のディレクター・長田幸治さんからスカウトされ、設立したばかりのレコード会社「クラウンレコード」と契約すると、

1964年、17歳になった直後に、「クラウンレコード」から新人専属歌手第一号としてリリースされた、ファーストシングル「君だけを」が、いきなり60万枚を売り上げる大ヒットを記録。

そして、その後も「十七才のこの胸に」「星空のあいつ」「星娘」などのヒット曲を連発し、1966年に発売したシングル「星のフラメンコ」が50万枚は超える大ヒット。

こうして、西郷さんは、一躍スターダムに駆け上がり、当時人気を博していた橋幸夫さんや舟木一夫さんとともに、「御三家」と呼ばれるようになったのでした。


「御三家」(左から)西郷さん、橋幸夫さん、舟木一夫さん。

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父・西郷輝彦はテレビドラマ「どてらい男」で俳優としてもブレイク

ただ、飛ぶ鳥を落とす勢いだった西郷さんも、1967年以降は、「ザ・タイガース」などのグループ・サウンズが流行したことで、「御三家」ブームが終焉し、レコードのセールスが低迷するのですが、

それでも地道に歌手活動を続け、1970年に発売した、これまでと違う、ロック色の強い楽曲「真夏のあらし」がヒットし、アイドルからの脱皮に成功すると、その後も、「情熱」「略奪」「愛したいなら今」が立て続けにヒット。

そして、その後再びレコードセールスが低迷すると、徐々に活動の場を俳優業へと移行し、1973年、26歳の時、テレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」の主演に抜擢され、様々な困難にもめげずに、裸一貫からのし上がっていく商人・山下猛造役を熱演すると、ドラマは最高視聴率35.2%を記録するなど、延長に延長を重ね、3年半にわたって放送されるという、大ヒットシリーズとなったのでした。


「どてらい男(ヤツ)」より。

西郷さんは、その後も、「江戸を斬る」シリーズなど時代劇でも人気を博し、俳優としての地位を確立すると、近年は、タレントとしてバラエティ番組にも多数出演されています。

「辺見えみりの母親は歌手の辺見マリ!兄は?異母妹は?」に続く

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