王子製紙のエンジニアのお父さんのもと、お父さんの勤務先だった樺太(サハリン)真岡市で誕生した、せんだみつおさんは、生まれてすぐの頃は病弱も、両親の献身的な世話のお陰で、無事、健康に育つと、小学2年生の時にはスカウトされて児童劇団「劇団 杉の子」に入団し、小学3年生の時には、舞台「人形の家」で子役デビューを果たします。

「せんだみつおの本名は?芸名の由来は?」からの続き

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生まれたばかりの頃は病弱だった

せんださんは、日の当たらない樺太の極寒の地で生まれたせいか、生まれてすぐの頃はとても病弱で、ミルクも飲まなかったそうで、お母さんがせっせとりんごをすりおろし、ジュースにして飲ませてくれ、なんとか助かったそうで、お兄さんが医者に連れて行った時には、医者から、「死亡届もらいに来たの?」と言われたこともあったそうです。

ただ、翌年の1948年、一家でお父さんの故郷である岩手県北上市に引き揚げ、その後ほどなくして、お父さんの転勤により、宮崎県日南市の社宅に引っ越すと、

今度は、お父さんが、せんださんを抱っこして、せっせと日向ぼっこさせてくれたそうで、その甲斐あって、みるみるうちに元気になったのだそうです。

児童劇団「劇団 杉の子」にスカウトされ舞台「人形の家」で子役デビュー

そんなせんださんは、小学2年生の時には、お父さんの転勤で東京都杉並区荻窪に移り住んだそうですが、

(お父さんは55歳で定年退職すると、退職金で荻窪の社宅を買取り、空き部屋を大学生に貸す下宿を始めたそうですが、そこに下宿していた大学生5人は、お兄さんのような存在だったそうで、現在も交流があるそうです)

小学校3年生の時、親戚のおじさんと新宿の伊勢丹の前を歩いているところを、児童劇団「劇団 杉の子」にスカウトされたそうで、

お芝居に興味をもったせんださんは、家に帰ってお母さんに相談すると、お母さんは、劇団に入ることを許してくれたそうで、「劇団 杉の子」に入団。同年には、「人形の家」の主人公・ノラ(轟夕起子さん)の長男役で舞台デビューしたのだそうです。

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子供心にも俳優の序列があることを理解していた

ちなみに、せんださんは、公演で汽車に乗って名古屋に行く際、一等列車に女優の轟夕起子さんが乗っているのを見て、

僕もそこに乗りたい

と、言ったことがあったそうですが、

女優の北林谷栄さんに、

あの方は主役で、私たちは主役じゃないからこっちよ

と、言われ、三等車に連れて行かれたそうで、

子供心にも、ランクがあるんだなと理解し、今でもその時のことが強く印象に残って忘れられないそうです。

「せんだみつおは中学入学後は劇団を辞め普通の学校生活を送っていた!」に続く

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