入院中は、週刊誌などに肝臓ガンと書かれるほか、田宮二郎さんの自殺も重なり、自分はこのまま死ぬのではないかと、ノイローゼになったという、せんだみつおさんですが、しっかり療養に専念すると、4ヶ月後の1979年3月には無事退院。しかし、この4ヶ月の間に、すっかり、レギュラー番組はなくなってしまったといいます。

「せんだみつおは昔入院中にノイローゼになっていた!」からの続き

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退院するもレギュラーを全て失っていた

4ヶ月間の療養の末、1979年3月には、完全に回復し、無事、退院することができたせんださんですが、レギュラー番組は全てなくなってしまったそうで、

せんださんは、著書「ナハ」で、

しかし、仕事の方は回復しなかったんだよね。『うわさのチャンネル!』も終わって、気がついたら家でテレビ見てる時間の方 が多くなってた。

テレビ見てると漫才がブレークしてる。「ツービート」「紳助・竜助」「B&B」「のりお・よしお」・・・。それもいままでのゆったり漫才からテンポの速いものになってた。あれっ?と思った時には、せんだみつおの「氷河期」は始まってたんですね。

せんだみつおがこんなに急に仕事がなくなるなんて、黄金期の私には考えられないことでした。冷静になってみると、大衆はもう 私のような動きの芸は欲しておらず、しゃべりの芸を受け入れていたのです。

しかも私にはないあのテンポ。漫才ブームが訪れていたのです。「ツービート」「紳助・竜助」「B&B」「のりお・よしお」「ザ・ぼんち」。半端ではない勢いがありました。

と、綴っています。

(「金曜10時!うわさのチャンネル!!」は、せんださんが入院する前の1978年春に、共にメインキャストだった和田アキ子さんが降板しており、せんださんと和田さんというメインの2人が抜けた後は、以前からレギュラーだった、千昌夫さん、タモリさん、所ジョージさん、徳光和夫さんがサポートに回る形で放送は続けていたものの、視聴率が急激に低迷したそうで、さらには、やがて、徳光さんも降板したため、(1979年3月放送開始の「ズームイン!!朝!」の総合司会を務めるため)視聴率の下降がとまらず、1979年6月で打ち切りとなったのだそうです)

日取りの仕事で食いつなぐ日々だった

そんな中、1980年には、男の子が誕生し、続く翌年の1981年には、女の子が誕生したそうですが、相変わらず仕事はなく、

(幸か不幸か、時間が有り余っていたため、子育てに専念することはできたそうです)

子供たちといる時間が長ければ長いほど、世の中から忘れられていくのではないかという不安や、将来への不安を感じ、家のローンもあったことから、必死で日取りの仕事を探したそうで、

選挙の応援、結婚式の司会、ビートたけしさんの番組「オレたちひょうきん族」にも出演させてもらうなどして、食いつないだのだそうです。

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自殺すると勘違いされて見知らぬ人に「早まるな」と腕をつかまれたことも

ちなみに、仕事がなく、家にいると、「ピンポン ピンポン」と玄関のチャイムが鳴り、玄関のドアを開けると、「あー 今日も家にいた」と、小学生にからかわれたほか、

子供たちを連れて川沿いを歩いていると、(せんださんの後ろ姿があまりにも寂しかったのか)後ろから知らないおじさんが走ってきて、「おーい 早まるな、早まるな」と、腕を掴まれたこともあったのだそうです。

「せんだみつおは山城新伍の「アイアイゲーム」にレギュラー出演していた!」に続く

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