1979年3月、4ヶ月の入院から無事に退院するも、全てのレギューラー番組を失ってしまい、日取りの仕事で食いつなぐ日々が続いたという、せんだみつおさんですが、自虐ネタで新境地を開拓すると、山城新伍さんが手を差し伸べてくれたといいます。

「せんだみつおは退院後レギュラー番組を全て失っていた!」からの続き

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小堺一機の結婚式のスピーチで「笑っていいとも」にレギュラー出演することができた

退院後は、レギュラー番組が全てなくなってしまい、家にいることが多くなっていたというせんださんですが、小堺一機さんの結婚式に出席した時のこと、

スピーチが回って来た際、せんださんがイスの上に立って、

みなさんお元気ですか?ごぶさたしております。せんだみつおです。覚えていますか~

と、言うと、少しウケたそうで、

調子に乗り、

新郎の小堺くんは、私の『ぎんざNOW!』 から スタートしました。 彼のアドリブ、間の良さ、あれはすべて僕が伝授したものです。あれから十年、僕の人気はどこへ行ってしまったんでしょう?

と、言うと、今度は爆笑に。

そこで、さらに調子に乗って、

僕は結婚式タレントと呼ばれております。結婚式では顔を見るけど、テレビでは顔を見ないというタレントです。 ここにいるプロデューサーのみなさん、せんだみつおをお忘れなく。

恵まれないタレントに愛の手を! 小堺くん、君がこんな幸せをつかむことができたのは、お父さんとお母さんのおかげです。 同時に僕のおかげです。ご両親にありがとうと言うと同時に、せんだに仕事をという運動も始めてください

と、叫び、スピーチを締めくくったそうですが、

その後、それを見ていたという、「笑っていいとも」のプロデューサー・横澤彪(よこざわ たけし)さんに見初められたそうで、「笑っていいとも」内のコーナー「私ハラんでます」に、(短期間だったものの)レギュラー出演することができたそうです。

山城新伍にクイズ番組「アイ・アイゲーム」のレギュラーに起用してもらう

こうして、せんださんは、一世を風靡したかつての芸人はどうすれば生き残れるのかを考えた結果、今の逆境(不安定な生活)を、「ウケない、金ない、仕事ない」などとギャグにするなど、自虐的な路線で行こうと考えたそうで、

お笑いの時には、自虐的なネタを必死に考え、山城新伍さん、ビートたけしさん、タモリさんに、コバンザメのようにくっついて自分をネタにしてもらったり、自分で自分をネタにするようになり、そのうち、自虐的ネタを持ち味とするタレントとしてのポジションができあがったそうですが、

山城新伍さんは、自身が司会を務めていたクイズ番組「アイ・アイゲーム」で、そんなせんださんをレギューラーに起用してくれ、せんださんの自虐的なネタをうまく活かしてくれたそうです。

山城新伍は「アイ・アイゲーム」で一番最初に紹介してくれた

ちなみに、山城さんは、番組が始まると、まず、せんださんのことを、

えー、芸能界、芸人さんはたくさんいるんですが、テレビ、ラジオで活躍してるのは、そうですね、だいたい三百人ぐらいです。その三百人のタレントさんはラジオにテレビに大忙しでホントたいへんですね。ここにいるせんだくんは、三百一番目の方です

と、紹介してくれたそうで、

(これがとてもウケたそうです)

せんださんは、以降、このセリフを自身の営業で使っているそうです(笑)

(「アイ・アイゲーム」には、川島なお美さんがアシスタントを務めるほか、中尾ミエさん、名高達男(当時は名高達郎)さん、高見千佳さん、将棋棋士の芹沢博文さん、ギタリストのクロード・チアリさんなどが出演していたそうです)

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山城新伍は様々なネタを考えてくれた

また、山城さんは、そのほかにも、

  • せんだの子供を赤坂の寿司屋に連れて行ったら、子供が、「ここは寿司屋じゃないやい。だって、ここ、ぐるぐる回ってないもん」と言った
  • せんだのとこじゃねぇ、納豆をキャビアって教えてる

など、様々なネタを考えてくれたほか、夜遊びに連れて行ってくれるなど、とてもかわいがってくれたのだそうです。

(赤坂の寿司屋のネタは、後に、和田アキ子さんや森繁久彌さんもそのまま使っていたそうです)

「せんだみつおは自宅が空き巣被害に遭うも芸能人最少被害額だった?」に続く


「アイ・アイゲーム」より。

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