映画「三等重役」「社長シリーズ」「駅前シリーズ」で、一躍、喜劇役者としての地位を確立すると、以降、シリアスな役も演じこなせる俳優として、映画、テレビドラマ、舞台ほか、ラジオ、執筆と幅広い分野で活躍した、森繁久彌(もりしげ ひさや)さん。今回は、そんな森繁さんの知られざる生い立ちをご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

森繁さんは、1913年5月4日生まれ、
大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)上之町の出身、
(兵庫県西宮市鳴尾育ち)

身長168センチ、

血液型はB型、

学歴は、
枚方尋常小学校
⇒鳴尾小学校
⇒堂島小学校
⇒旧制大阪府立北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)
⇒早稲田第一高等学院
⇒早稲田大学商学部中退

趣味は、クレー射撃、ゴルフで、クレー射撃は、三船敏郎さん、三橋達也さんとともに「芸能文化人ガンクラブ」(当初は「映画人ガンクラブ」)を設立し、2009年に他界するまで、会長を務めていたそうです。

(その後は、会長代行だった高木ブーさんが会長を務めていたそうですが、クラブのメンバーの多くがこの世を去り、銃の規制が厳しくなったことから、2013年には、高木さんも銃砲所持の許可証を返上。現在は、タレントのヒロミさんが3代目会長を務めているそうです)

本名は?

「森繁久彌」は本名なのですが、もともとは「菅沼」姓だったところ(実のお父さんは菅沼達吉)、2歳の時にお父さんが他界し、お母さんが正妻ではなかったため、

一番上のお兄さん(長男)は母方の「馬詰」姓を、2番目のお兄さん(次男)は父方の「菅沼」姓を、そして、三男だった森繁さんは、(小学1年生の時)母方の祖父で江戸幕府の大目付・森泰次郎さんの親戚の森繁平三郎さんの家を継いで「森繁」姓となったのだそうです。

(森泰次郎さんの実弟は、儒学者の成島柳北さんだそうですが、その森家の先祖は、織田信長の側近として知られる森蘭丸なのだそうです)

ちなみに、「久彌」は、お父さんが三菱財閥3代目の岩崎久彌と親交が深かったことから名付けられたそうです。

(下積み時代は、「藤川一彦」の芸名で活動していたこともあったそうです)

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2歳の時に父親が他界~進学校の北野中学校へ入学

そんな森繁さんは、実業家のお父さんの菅沼達吉さんとその愛人だったお母さんの馬詰愛江さんのもと、3人兄弟の末っ子として、大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)上之町で誕生すると、2歳の時、お父さんが他界したことから、兵庫県西宮市鳴尾に移り住み、鳴尾小学校に通ったそうですが、

その後、教育熱心だったお母さんの意向で、小学校6年生の時には、進学校で有名だった旧制北野中学校へ進学するため、堂島小学校に転校させられると、堂島小学校卒業後は、お母さんの念願通り、北野中学校に進学したそうです。

ちなみに、森繁さんは、後に、北野中学校について、

北野に友田という怖い先生が居ましてね。綽名(あだな)をバルといった・・・バルチック艦隊から来たんでしょう。そのバルさんの倅(せがれ)が友田均といって堂島小学校には一緒に行っていた。

なかなかの名門でしたね。そこから十何人・・・北野へ入りました。私も「ついでだから入れちゃえ」って入れて貰ったようなもんですがね(笑)

奇麗な洋服を着せてもらって、白線のついてる帽子を被って・・・。女の子なんか嫌いじゃなかったんだけど、ウカツにそういうことをすると、すぐクビになるんでね。退学とか停学とか・・・

と、語っています。

「森繁久彌が中学の時は天井裏から小便をし停学処分となっていた!」に続く

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