1971年のソロデビュー曲「さらば恋人」の大ヒット以降、歌手としても不動の人気を誇り、作曲家・筒美京平さんの洗練された楽曲提供でその才能を飛躍させ、「街の灯り」へと繋がる、黄金時代を築いた、堺正章(さかい まさあき)さん。

今回は、堺正章さんの大ヒット曲であり、日本歌謡史に残る、名曲「さらば恋人」「街の灯り」の誕生秘話と、作曲家・筒美京平さんとの関係についてご紹介します。

堺正章

「【画像】堺正章の若い頃から現在までの出演ドラマ映画ほかソロやバンドは?」からの続き

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堺正章は24歳の時にソロデビュー曲「さらば恋人」で心機一転を図っていた

堺正章さんは、「ザ・スパイダース」解散後、1970年2月に放送が開始したテレビ・ドラマ「時間ですよ」にレビュラー出演し、俳優として人気を博すかたわら、歌手としての活動も続けているのですが、

心機一転、レコード会社をフィリップスから日本コロムビアへと移籍しています。

そして、1971年5月1日には、ファーストシングル「さらば恋人/気らくに生きよう」(作詞・北山修さん、作曲・筒美京平さん)でソロデビューすると、オリコンチャートで最高2位を記録する大ヒットとなり、

「時間ですよ」での人気との相乗効果で、この年の日本レコード大賞大衆賞を受賞するほか、「第22回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすなど、ソロ歌手としてもその人気を不動のものにしています。

「さらば恋人」
「さらば恋人」

ちなみに、「さらば恋人」は、堺正章さんが、ソロデビューするにあたり、数曲の候補の中から、発売直前のギリギリまで考え抜いた末に選んだ1曲だったそうで、

「ザ・スパイダース」時代に歌っていたようなノリのいい曲ではなく、軽快で爽やかなサウンドながらもどこか哀愁のあるメロディが特徴のこの曲(さらば恋人)を選んだのだそうです。

また、堺正章さんは、独立するにあたって、新しいことに挑戦しようと、長かった髪をカットするなど、ルックスの雰囲気を変えており、

それが功を奏し、「ザ・スパイダース」時代には、出演候補に何度も名前が挙がるも、結局、出演することができずなかった「NHK紅白歌合戦」への出場も決定まっているのですが、

堺正章さんは、

スパイダースはダメで僕はOK。なんだか妙な気持ちです

と、語っており、

喜びよりも、どこか、その判断基準に釈然としない様子を見せていました。

(当時、NHKHは「品行方正」を重んじていたため、長髪の「ザ・スパイダース」のメンバーは出演することができなかったといわれています)

堺正章が歌う「さらば恋人」のパクリ疑惑の真相は?

ちなみに、この「さらば恋人」は、数多くのアーティストにカバーされ、現在も歌い継がれているのですが、パクリ疑惑がありました。

それは、アメリカで大ヒットしたアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」という曲で、イントロ、歌いだし、全体の構成がよく似ているというのです。

ただ、「さらば恋人」がリリースされたのは、1971年5月1日なのに対し、「カリフォルニアの青い空」のリリースは、1972年10月ということで、パクリでないことは明確です。

実は、「さらば恋人」と「カリフォルニアの青い空」が似ていると言われる背景には、作曲家・筒美京平さんの楽曲制作スタイルがあったといいます。

というのも、筒美京平さんは、当時から、最新の海外ヒット曲のトレンドや構造を巧みに分析し、自身の楽曲に昇華させる技法に長けていたそうですが、

筒美京平さんの弟さんは、外資系レコード会社でディレクター兼プロデューサーとして勤務しており、そのため、日本にはまだ入ってきていないような最新の洋楽情報をいち早く入手できる環境にいたそうで、

筒美京平さんは、その弟さんを通じて海外の音楽シーンを常に把握し、一般的な音楽ファンが知らないようなマニアックな楽曲の構成やアレンジまで詳細に研究し、それを「日本人にも親しみやすいポップス」へと昇華させていたそうで、

結果、洋楽ファンが聴くと「これはあの曲?」と感じてしまったようです。

堺正章と「さらば恋人」の作曲家・筒美京平の関係は?

また、この「さらば恋人」で作曲を手掛けた筒美京平さんは、その後、2年間に渡って、

  • 1971年9月10日リリースした2ndシングル「青空は知らない/恋人なんかすてちまえ」
    「青空は知らない」
    「青空は知らない」
  • 1972年1月25日にリリースした4thシングル「幸福への招待/誰でも愛を求めてる」
    「幸福への招待」
    「幸福への招待」
  • 1972年6月25日にリリースした5thシングル「運がよければいいことあるさ/若い旅人」
    「運がよければいいことあるさ」
    「運がよければいいことあるさ」
  • 1973年4月10にリリースした7thシングル「恋人時代/恋の痛手」
    「恋人時代」
    「恋人時代」

と、シングル5枚全10曲(カップリング曲含む)を堺正章さんに提供するほか、

翌年の1972年には、全12曲を手掛けたアルバム「サウンド・ナウ!」をプロデュースするなど、堺正章さんと筒美京平さんは親交が厚かったようで、

「サウンド・ナウ!」
「サウンド・ナウ!」

堺正章さんは、2020年10月12日、筒美京平さんの訃報に接した際には、

私のスパイダースからの解散独立に一番背中を押してくださったのが、筒美さんでした。昭和46年にリリースした、さらば恋人のヒットで再スタートを切れました。

歌謡曲とポップスの中間的メロディを私は楽しみながら歌う事が出来ました。筒美京平ワールドは永遠です

と、偲んでいます。

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堺正章は情緒的で哀愁の漂うバラード「街の灯り」でシンガーとしての実力を発揮していた

そして、堺正章さんは、1973年6月25日には、「時間ですよ」の挿入歌だった、8枚目のシングル「街の灯り」をリリースしているのですが、

この「街の灯り」は、堺正章さんがドラマの中で演じる役柄とこの哀愁漂うメロディがマッチし、ドラマのヒットと共に人々に親しまれ、堺正章さんは、同年末の「第24回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしています。

「街の灯り」
「街の灯り」

ちなみに、この「街の灯り」は、作詞・阿久悠さん、作曲・浜圭介さんが担当しているのですが、筒美京平サウンドによる「さらば恋人」が「青春期のほろ苦い経験を歌う洗練された洋楽の香りが漂うポップス」であるのに対し、「街の灯り」は、当時の歌謡界を代表する名コンビによる「情緒的で大人の哀愁が漂うバラード」で、

この異なる2つの楽曲を歌いこなす堺正章さんのシンガーとしての幅の広さには驚かされますが、どちらも堺正章さんが歌うからこそ、あの、独特の温かさや哀愁、軽やかさが生まれるのかもしれませんね。

「堺正章が若い頃は「西遊記」の孫悟空役で子供達のヒーローだった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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