最初の妻・末子さんを村上節子さんと不倫中に「乳ガン」で亡くした、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、奇しくも、再婚した2人目の妻・節子さんも「乳ガン」で余命宣告され、その後、節子さんのガンは脳と骨に転移したといいます。
「田原総一朗は2人目の妻・節子も「乳ガン」で余命宣告を受けていた!」からの続き
2人目の妻・節子を受け入れてくれる病院探しに難航していた
手術は無事成功するも、リンパ腺に残っているガンを除くため、その後も抗ガン剤治療を受け続けた節子さんは、半年後、ようやく退院したそうですが、
節子さんは、病院に強い不信感を持っており、退院後は、病院を変えたいと言ったそうで、田原さんは、知り合いのツテなどを頼り、いろいろと病院を探したそうですが、
節子さんは、「炎症性乳ガン」で、しかも、手術した患部が壊死して傷口が塞がらず、なかなか受け入れてくれる病院は見つからなかったそうです。
2人目の妻・節子は聖路加国際病院の中村清吾医師の治療を受けるも・・・
そんな中、田原さんが、同じマンションに住んでいた旧知の青木正美医師に偶然会った際、事情を話し、医師を紹介してくれるように頼むと、青木医師は、聖路加国際病院の中村清吾医師を紹介してくれたそうで、
(中村医師は、当時は無名だったそうですが、その後、乳ガンの治療で3本の指に入るほどの名医となったそうです)
節子さんが、中村医師により抗ガン剤治療を受けると、みるみるうちにガンは小さくなっていったそうで、
1999年の秋頃には、中村医師から、
ガンはすっかりなくなりました。当分は、ガンのことを心配する必要はありません
と、言われたのだそうです。
2人目の妻・節子のガンが脳と骨に転移
ただ、中村医師からは、
今はなくなったけれど、必ず再発します。それもそんなに長い時間ではない
とも、言われたそうで、
(田原さんは、節子さんに、何を伝え、何を伝えないでおくべきか、最後まで悩み続けたそうです)
やはり、半年ほど経った2000年4月には、節子さんのガンは脳に転移し、さらに骨にまで転移したそうで、節子さんは、東京女子医科大学病院に入院し、骨の一部を切り取る手術を受け、その後、退院するも病状は悪化し、車椅子の生活を余儀なくされたのだそうです。
(田原さんは、節子さんの車椅子を押すだけでなく、着替えを手伝ったり、抱きかかえて風呂に入れるなど、節子さんの身の回りの世話をしたそうですが、(田原さんいわく)勝手なもので、節子さんが病気になって以降、自分自身の体調は全く気にならなくなったそうです)
「田原総一朗は意識のない妻を置いて北朝鮮に出張していた!」に続く