妻の末子さんがガン闘病中も、村上節子さんとの不倫をやめられず、末子さんの死から5年後に節子さんと再婚すると、節子さんに公私に渡ってサポートしてもらっていたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、そんな中、節子さんも、悪性の「炎症性乳ガン」で余命半年を宣告されたといいます。

「田原総一朗は2人目の妻・節子に献身的に看病されていた!」からの続き

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2人目の妻・節子も「乳ガン」で余命半年の宣告を受ける

田原さんは、1998年の秋、日米ジャーナリスト交流会に出席するため、節子さんとともにアメリカ・ワシントンに行ったそうですが、そこで、節子さんが胸の張りを訴えたそうで、帰国後、すぐに病院に行くように勧めたそうですが、なぜか、節子さんは、グズグズしてなかなか病院に行かなかったそうです。

そして、ようやく、港区虎ノ門の病院で検査を受けると、「炎症性乳ガン」という悪性のガンで、長く持っても半年であると、余命宣告をされてしまったそうです。

(医師は診断結果を、節子さん本人にははっきりと言わず、田原さんにのみ告げたことから、田原さんも、節子さんには、乳ガンであることは伝えたものの、悪性の「炎症性乳ガン」であることは伝えなかったそうで、節子さんは、自分が一体何のガンなのか非常に気にして、娘にガンの本を買ってこさせて読んだりしていたそうです)

2人目の妻・節子が乳房を全摘出する大手術

それでも、節子さんは、入院し、放射線治療を受けると、ガンを小さくすることに成功したそうですが、入院から4ヶ月半後の1999年には、医師の提案により、乳房を全摘出する7時間半に渡る大手術をし、

さらには、(まだリンパ腺にはガンが残っていたため)半年間入院して、抗ガン剤治療を続けたそうです。

(その間、田原さんは、毎日、病院に見舞いに行ったそうです)

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2人目の妻・節子は余命宣告を隠されていたことを激怒していた

ちなみに、手術後、節子さんは、パソコンでガンについて調べていたそうで、そのうち、アメリカのサイトで、自分が「炎症性乳ガン」であると分かると、

半年しか生きられないのなら、残された時間を懸命に生きたい

と、言って、田原さんが黙っていたことをとても怒ったそうで、田原さんは、平謝りするしかなかったそうです。

(田原さんとしては、節子さんが、悪性のガンだと知ると、気落ちして生きる気力を無くしてしまうのではないかと心配で、本当のことを言えなかったのだそうです)

「田原総一朗の2人目の妻はガンが脳と骨に転移していた!」に続く

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