ガンが脳と骨に転移して車椅子生活を余儀なくされた、2人目の妻・節子さんの身の回りの世話をするようになった、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、2004年の夏には、そんな節子さんを置いて、仕事でアメリカ、北朝鮮と行ったそうで、結局、節子さんの最期を看取ることはできなかったそうです。

「田原総一朗の2人目の妻はガンが脳と骨に転移していた!」からの続き

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2人目の妻・節子を置き仕事でアメリカへ出張していた

ガンが脳と骨に転移し、車椅子生活を余儀なくされていた、2人目の妻・節子さんは、2004年の夏には、いつ集中治療室に入ってもおかしくない状態にまで陥ったそうですが、

そんな中、田原さんは、「サンデープロジェクト」の取材でアメリカへ行くこととなったそうで、田原さんが、節子さんに相談すると、

節子さんには、

あなたが逆の立場だったら、行きなさいと言うでしょう。もちろん、行きなさい

と、言われたそうで、

田原さんは、思い切ってアメリカへ発ったそうです。

2人目の妻・節子の容態が悪化するも今度は北朝鮮に出張していた

ただ、田原さんが帰国すると、節子さんはほとんど話もできないほど容態が悪化していたそうで、しかも、今度は、北朝鮮に行くこととなり、節子さんと目と目で会話をすると、

またしても、節子さんは目と表情で「行け」と言ったそうで、田原さんは北朝鮮にも行くことにしたのだそうです。

(中村医師からは「(北朝鮮へは)行かない方がいい。もう生命の保証はできません」と言われたそうです)

北朝鮮に出発する前に2人目の妻・節子のためにメッセージをテープレコーダーに吹き込んでいた

そして、田原さんが北朝鮮に出発する前日、ついに、節子さんは集中治療室に入ったそうで、

(この時点で節子さんは意識がなかったそうです)

節子さんの連れ子(娘)から、

お母さんに聞かせるメッセージを録音して

と、頼まれ、

田原さんは、

ガンバレ、生きていてくれ

と、励ましの言葉を30分ほどテープレコーダーに吹き込んだのだそうです。

(娘の話では、田原さんの出張中、その録音を節子さんに聞かせると、少し反応したように思えたとのこと)

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北朝鮮出張中に2人目の妻・節子が他界

その後、2004年8月13日金曜日の朝6時、宿泊していたホテルに、節子さんの連れ子(娘)から国際電話で節子さんが危篤状態の報せが入り、何でもいいから電話口でお母さんに話してほしいと言われたそうで、

(娘は、電話の受話器を節子さんが横たわっているベッドの枕元に置いたそうです)

田原さんは、受話器の向こうにいる節子さんに向かって、夢中で、

節子!ガンバレ

と、大きな声で叫んだそうですが、

(病床の妻を残して海外に来ていることから、申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです)

それから、3時間後、節子さんは息を引き取ったのだそうです。(享年67歳)

ちなみに、田原さんは、著書「塀の上を走れ 田原総一朗自伝」で、

帰国して節子の遺体と対面した時に感じたのは、悲しみというよりは喪失感であった。42歳で「東京12チャンネル」を退社してから30年近くにわたって、ずっとフリーで仕事をしてきたが、身の回りのことはすべて女房頼みだった。

私の番組について冷静な批評をしてくれた節子。原稿に朱筆を入れてくれた女房は、もうこの世にいない。そう思うと、底無しの喪失感に襲われ、私自身が「これから生きていけるだろうか」と不安になるのだった。

と、綴っています。

「田原総一朗の娘はテレ朝のプロデューサー(長女)と秘書(次女)!」に続く


塀の上を走れ 田原総一朗自伝

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