1968年、映画「ある少女の告白・純潔」で映画デビューを果たして以来、しばらく、役に恵まれなかった、沖雅也(おき まさや)さんですが、1973年、テレビ時代劇「必殺仕置人」「棺桶の錠」役に抜擢されると、その後は時代劇を中心に活躍し、1979年には、人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」で大ブレイクを果たされます。

「沖雅也の若い頃はホモバー?必殺!マネージャー日景?」からの続き

Sponsored Link

「太陽にほえろ!」スコッチ刑事役で人気爆発

「必殺仕置人」「ふりむくな鶴吉」「必殺仕置屋稼業」など、
主に時代劇で活躍されていた沖さんですが、

1979年9月には、人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」の、
プロデューサー岡田晋吉さんに、「必殺仕置屋稼業」での演技を見初められ、

「太陽にほえろ!」で、「スコッチ刑事」こと、
滝隆一役に抜擢されると、たちまち爆発的な人気に。

実は、「太陽にほえろ!」のチームワークはとても良好で、
メンバー同士の対立が全く考えられない状況だったことから、
マンネリ化を危惧したプロデューサーの岡田さんが、

「七曲署に波風を立てる役」として、冷酷非道の、
「スコッチ刑事」を登場させることにしたのですが、

このような難しい役を新人俳優が演じるのは無理だと考え、
(ドラマ開始以来、新人刑事役は新人俳優が演じていました)
沖さんに拝み倒して、沖さんが出演することになったそうで、

沖さんは、そんな岡田さんの期待に応えるため、
撮影現場では、みんなから遠く離れて、
一人ポツンと役作りに励まれたのでした。

「俺たちは天使だ!」で柴田恭兵と

ただ、当時、沖さんは、半年以上のレギュラー出演はしないスタンスだったため、
半年後の1977年3月には、山田署へ転勤という形で「太陽にほえろ!」を降板。

そして、1978年には、
「大追跡」「姿三四郎」と立て続けに出演されると、

1979年には、アクション・コメディドラマ「俺たちは天使だ!」で、
沖さん本来のキャラクターである、ちょっとドジで、明るい性格を前面に打ち出した、
麻生雅人役でも、お茶の間の人気を博したのでした。


「俺たちは天使だ!」より。(左から)沖さん、渡辺篤史さん、
神田正輝さん、柴田恭兵さん、多岐川裕美さん。

ちなみに、このドラマを制作したプロデューサーの一人、石井幸一さんは、

沖雅也と柴田恭兵は、その前に僕も参加した、
「大追跡」のメンバーでもあってね。この時の現場が楽しかったと。

だから、今回もあまり理屈っぽくならずに、アイデアを出しながら、
現場を盛り上げて行けるようなものを作ろうという考えがあったようです。

その頃、沖ちゃんは、「太陽にほえろ!」のスコッチ刑事があって、
「姿三四郎」の桧垣源之助役も非常に良かった。
これに「大追跡」も加わって、日本テレビにとっては殊勲選手と言えますね。

俳優として脂が乗っていたし、ステキな人でした。
その割に、彼はあまり主演作に恵まれていなくてね。
だから、何とか主役の沖ちゃんの良さを世間に認めさせようという、
強気な気持ちがあったと思いますよ。

また、もう一人のプロデューサー、加賀義二さんも、

自分では恰好悪いと思っていることを、
思い切って、愛嬌として画面に出してしまおう。
地の演技で勝負しようよ、という申し出を快く承諾してくれた彼は、

既に出来上がっているキャラクターに、
駐車場に車を入れる時は、必ず車止めに車をぶつけてしまう、
車から降りる時は、頭を車の天井にぶつけてしまう等、
普段の彼がよくやる失敗をつけ加えた。

と、明かされていることから、このドラマは、
まさに、沖さんのために作られた作品だったようですね。

「太陽にほえろ!」に復帰

そして、1980年3月には、裏番組「3年B組金八先生」に押され、
視聴率が低下してきた「太陽にほえろ!」に、再び沖さんがスコッチ刑事役で復帰。


石原裕次郎さん(左)と沖さん。

実は、沖さんはあまり乗り気ではなかったそうですが、
岡田プロデューサーからの依頼だったため、
再びレギュラーを務められることになったそうで、

今度は、クールな刑事ではなく、人間味のある刑事を演じたいと希望され、
冷酷非道だった「スコッチ刑事」が、七曲署の刑事達に囲まれ、
次第に人間らしさを取り戻していく、というストーリーになったのだそうです。

Sponsored Link

そううつ病で「太陽にほえろ!」を降板

その後も沖さんは、1981年には、「江戸の朝焼け」で主演を務められるほか、
レギュラー番組をいくつも抱える超売れっ子となったのですが、

その一方で、過密スケジュールから精神的に不安定になっていき、
同年4月には、東名高速道路でキャデラックを運転中に側壁に激突する事故。

幸い、ケガは軽く、足首の捻挫ですんだのですが、
この時、「そううつ病」とも診断され、2週間入院されると、

退院後は、精神安定剤を服用しながら、
同年6月1日に俳優業に復帰されるも、

今度は、仕事の無理がたたってか、「肝臓炎」が発症し、
薬の副作用から、体重が90キロにもなってしまい、
復帰からたったの3ヶ月で長期間の休養を余儀なくされてしまいます。

こうして、沖さんは、この休養中でのアメリカ旅行の際、
「太陽にほえろ!」の降板を決意されたそうで、

あまりみっともない格好で番組を去りたくないので、
お正月は1日1食、おもちも食べませんでした。

と、必死の減量で、なんとか80キロを切るところまでこぎつけると、

「病気のため、吐血して死ぬ」という、
壮絶な最期を演じて降板されたのでした。

ちなみに、殉職ではなく、病死というのは、
沖さんがアメリカ旅行中に思いついたアイディアだったそうで、

沖さんは、その時のことを、

役者として、やる気がなくなったんです・・・役に行き詰まってきたんです。
このまま画面に出ないで消える方法もあったのですが、
キチッとケジメをつけたいと思って僕の話を作っていただきました。

いろいろありました。精神的ストレスがたまり、
ノイローゼのようになったこともありますが、今は肉体、心とも快調です。
つまっていたものがふっ切れた感じで、すがすがしい気持ちです。

と、明かされていたのですが・・・

「沖雅也の死因は飛び降り自殺!遺書は?事故?真相は?」に続く

Sponsored Link