中学卒業前に家出して上京し、様々な職を転々とした後、ホモバーで働かれた、沖雅也(おき まさや)さんですが、お店にお客としてやってきた日景忠男さんと出会い、人生が一変します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

沖さんは、1952年6月12日生まれ、
大分県別府市のご出身、

身長183センチ、

血液型はB型、

趣味は、盆栽、

学歴は、
王子中学校卒業
⇒通信教育で高校卒業

ちなみに、本名は、日景城児(ひかげ じょうじ)で、
(出生名は、楠城児(くすのき じょうじ))

芸名の「沖雅也」の「雅」は、
当時の「日活」社長、堀雅彦の一字から名付けられたそうです。

中学卒業前に家出して上京

沖さんは、お父さんが石油卸売業、おじいさんが病院経営者という、
裕福な家庭に生まれるのですが、その後、お父さんが事業に失敗し、
大分市に転居されると、その後は市内を転々とする生活を送ります。

そして、1966年12月、中学2年生の時、両親が離婚し、
沖さんはお父さんに引き取られるのですが、うまくいかず、

1968年1月4日、中学校を卒業前に、
10万円とバッグひとつを持って家出し、上京。

当日は、ホテルニューオータニへ宿泊するも、
翌日からは氏名と年齢を偽り、住み込みで中華そば屋で働き始めます。

しかし、ほどなくして辞めると、その後は、
カステラ工場の配送員の助手ほか、職を転々とし、

最終的には、生きるために仕方なく、自身の美形を活かして、
池袋にあった売り専のホモバー「げれえ」でバイトを始められたのでした。

(この頃、お客からスカウトされてファッション誌のモデルになるも、
 単発的な仕事だったため、食事にも困るほど生活は苦しく、
 ホモバーを続けながらモデル業をこなしていたそうです。)

マネージャー日景忠男との出会い

そんなある日のこと、沖さんは、
お店の常連客だった、日景忠男さんに、

週に一回会えば月15万円あげる

と言われると、なんと、
お金のため、日景さんと愛人契約を交わします。

その後、詳細は分かりませんが、
浅草のホモバーに移り、そこのママ(もちろん男)と愛人関係になり、
店を手伝って8万円のお給料をもらっていたのですが、

ママに新しい恋人ができたことで別れると、その頃あたりから、
日景さんとの関係が深まり、同棲をスタート。

そして、この頃から沖さんは俳優を目指されたようで、
日景さんが、沖さんの夢を叶えるべく、
芸能プロダクション「JKプランニング」を設立すると、

沖さんのマネージャーとして、お風呂の入り方や洋服選びなど、
ありとあらゆる面倒を見てくれたのでした。

(日景さんは、お父さんが台湾人で、実家が台湾の大病院という、
 資産家の息子だったため、お金持ちでした)

日活映画でデビュー

すると、同年、沖さんが働いていたホモバーにお客として訪れた、
古賀誠一さん(現・オスカープロモーション代表取締役社長)からスカウトされ、

「日活」関係者を紹介してもらうと、
日活映画「ある少女の告白・純潔」で映画デビュー。


「ある少女の告白・純潔」より。丘みつ子さんと沖さん。

翌年の1969年には、
早くも「エランドール新人賞」を受賞されると、

以降、

1970年「花の特攻隊 ああ戦友よ」
     「いちどは行きたい女風呂」

1971年「男の世界」
     「関東流れ者」


「男の世界」より。沖さん(左)と石原裕次郎さん(右)。

と、数々の日活映画に出演。

そして、ついに、1971年、
映画「八月の濡れた砂」で主演に抜擢されるのですが、

撮影開始直後に、オートバイの事故で鎖骨を骨折する大ケガをしてしまい、
そのことが原因で、降板を余儀なくされてしまったのでした。

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「必殺仕置人」「必殺仕置屋稼業」など時代劇で活躍

それでも、同年、テレビドラマ「さぼてんとマシュマロ」で、
主演に抜擢されると、たちまちアイドル的な人気を博し、

続く、テレビドラマ「金メダルへのターン!」「キイハンター」などでも、
準レギュラーとして出演されると、


「キイハンター」より。(左から)川口浩さん、沖さん、
千葉真一さん、野際陽子さん。

1973年には、テレビ時代劇「必殺仕置人」で、「棺桶の錠」役に抜擢されて、
山崎努さん、藤田まことさんら、大御所との共演でますます注目を集め、


「必殺仕置人」より。
(左から)山崎努さん、沖さん、藤田まことさん。

その後も、
 
1974年「ふりむくな鶴吉」
1975年「必殺仕置屋稼業」

など、立て続けに時代劇に出演され、
大きな飛躍を遂げられたのでした。

「沖雅也は躁鬱?太陽にほえろでスコッチ!柴田恭兵と俺たちは天使だ!」へ続く

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