幼い頃は、極度の人見知りで、小学校時代は、手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんに憧れ、漫画家を目指していたという、竹中直人(たけなか なおと)さんですが、友達と仲良くしたいとの思いから、やがて、モノマネの特訓をするようになったといいます。

「竹中直人の幼少期は漫画家に憧れるおとなしい少年だった!」からの続き

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極度の人見知りを克服するためにモノマネを始める

人見知りが激しく、一人で漫画を描くことが好きだったという竹中さんですが、やはり、友達と仲良くしたいというのが本音だったそうで、中学生の時、誰かのマネをすれば、人見知りの激しい自分でも緊張せずに話せるのではと思いつくと、

まずは、家で、連日のように、学校の先生のモノマネの特訓をし、次に、好きな映画を何度も観てはセリフを覚え、登場人物のモノマネをするようになったそうです。

(自分ではないものになりきることで、自由になれた気がして楽しかったそうです)

そして、ついに、クラスのみんなの前で有名人のモノマネをすると、これが大いにウケたそうで、またたく間にクラスの人気者になったのだそうです。

母親の強い愛情に見守られていた

ちなみに、竹中さんのお母さんは、そんな竹中さんをいつも優しく見守ってくれていたそうで、竹中さんが家でモノマネの特訓を始めるようになってからも、決して辞めさせようとはせず、むしろ、社交性が出てきたことを、とても喜んでくれたそうで、

そんなお母さんの愛情に守られながら、竹中さんは、次第に、積極的な男の子へと成長していったのだそうです。

(お母さんは、幼少期に兄と弟を亡くすほか、その後、父親も事故で亡くしており、度重なる肉親の死を目の当たりにしてきたことから、竹中さんを出産した時には、子供にはそんな思いはさせまいと、「絶対に長生きして息子をこの手で育て上げる」と誓ったそうで、結婚後も、仕事は続けていたものの、週末は家族3人で過ごすことにこだわり、愛情深く竹中さんを育てたそうです。)

人を観察することが好きだった

また、竹中さんは、子供の頃から、学校の先生や電車の中の酔っ払いのおじさんなど、人を観察するのが好きだったそうで、

つまずいてしまった人が、つまずいた後に「キョロキョロ」とする感じとか。大勢の人がいるのにとぼける感じとか、無防備になっている人を見るのが好きでしたね。

普通はつまらないという感覚が自分の中にあって、「変」という言葉が好きでしたよね。「なんだこれ?!」というのが。

と、語っており、そんな観察力がモノマネにもつながったのかもしれません。

(竹中さんが子供の頃は、個性的な先生がたくさんいたそうです)

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観察力の鋭さをピエール瀧に驚かれていた

そんな竹中さんは、2014年3月、ラジオ番組「赤江珠緒×ピエール瀧 たまむすび」にゲスト出演した際、ピエール瀧さんが顔の割に足が小さいことを指摘すると、

ピエール瀧さんから、

僕、この体格からすると、たしかに足はそんなにおっきくない方なんですよ。そこをね、指摘したの、竹中さんが初めてですよ。

と、その観察力の鋭さに驚かれています。

「竹中直人は高校時代「ヤマハポプコン」の予選大会に出場していた!」に続く

(左から)ピエール瀧さん、竹中さん、赤江珠緒さん。

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