1996年、NHK大河ドラマ「秀吉」では、主人公の豊臣秀吉を大胆に演じ、大ヒットさせた、竹中直人(たけなか なおと)さんですが、実は、幼少期は、漫画家に憧れる、おとなしい少年だったといいます。今回は、そんな竹中さんの生い立ちやルーツである両親の馴れ初めなどをご紹介します。

「竹中直人の祖父が死去した「横浜港独軍艦爆発」の事故原因は隠蔽されていた!」からの続き

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父方の先祖(高祖父)は弘前藩の足軽

竹中さんの父方の高祖父(4代前)の竹中彌十郎さんは、青森県弘前市の弘前藩の出身で、江戸時代は、城の掃除人などを務めていたそうですが(弘前藩の由緒書に、彌十郎さんの名前が記載されているそうです)、明治維新後、1871年には、「並卒」という足軽に出世したそうです。

ただ、廃藩置県が断行され、士族救済手段として各藩によって帰田法(きでんほう)が実施されると、彌十郎さんの次男・竹中信金さんは、青森の「木造村」という所に移住したそうです。

(※帰田法とは、これまで武士であった士族に給祿や助成金を交付して帰農させる方法)

父・竹中博美が誕生

そして、信金さんの息子・泰造さん(竹中さんのおじいさん)も、「木造村」で農業をしていたそうですが、その後、大正に入ると、仕事を求めて横浜へ移住したそうで、

造船所に働き口を見つけると、横浜で知り合った女性と結婚。その後、竹中さんのお父さん・博美さんが誕生したのでした。

父と母の馴れ初め

こうして、横浜で生まれ育った博美さんは、その後、横浜市の区役所で市民税係として勤務していたそうですが、区役所の廊下ですれ違った、長谷川芳枝さん(竹中さんのお母さん)に一目惚れしたそうで、

博美さんは、その時のことについて、

どうしても妻になってもらいたい人だなと思ってね。私が猛烈アタックですね「ラブレター作戦」。

と、明かしています♪

(芳枝さんは、父・正直さんが他界した後、百貨店を辞め、区役所に勤めていたそうです)

両親が結婚

ちなみに、博美さんは、あふれる思いを何枚もの手紙にしたためたそうですが、当初、芳枝さんは、その分厚く長い手紙に困ってしまったとか。

それでも、芳枝さんは、次第に博美さんに惹かれていったそうで、昭和29年(1954年)、二人は結婚したのだそうです。


竹中さんのお母さん(芳枝さん)。

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幼少期は漫画家に憧れるおとなしい少年だった

そんな両親のもと、待望の長男(一人っ子)として誕生した竹中さんは、幼い頃は、家で絵を描いて遊ぶことが好きな、人見知りが激しいおとなしい少年だったそうで、

小学校に入ると、手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんの漫画を見てコマ割りなどの勉強をするなど、漫画家に憧れ、学校が終わると、すぐに家に帰って、ずっと漫画を描いていたそうで、

(そのため、通信簿には、いつも、「協調性がない」「積極性がない」と書かれていたそうです)

竹中さんは、当時のことを、

絵を描く時っていちばん楽しくて。自分が無心になれるっていうか。あまり、人と話すのがすごく照れくさかったですからね。

一人っ子だし。家でこもっているのがいちばん落ち着くんですよ。そういうのがありましたね。だから、絵を描くってことだけ

と、語っています。

また、竹中さんは、家族3人で映画を観に行くことを、何よりも楽しみにしていたそうで、映画にも憧れを抱くようになったそうです。

(当時、横浜で一番の繁華街だった伊勢佐木町にあった「名画座」や「オデオン座」などの映画館に、よく連れて行ってもらったそうです)

幼少期の頃の竹中さんと両親。

「竹中直人は少年時代モノマネで人見知りを克服していた!」に続く

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