矢沢永吉の少年時代の夢は板金屋の親方?愛読書は「人を動かす」だった!


3歳の時にお母さんが蒸発、7歳の時にお父さんが他界し、その後はおばあちゃんに引き取られるも、貧しさから様々な屈辱的な体験をされた、矢沢永吉(やざわ えいきち)さんですが、中学2年生の時、後に矢沢さんの人生を大きく変えるきっかけが訪れます。

「矢沢永吉は韓国人?幼少期は極貧で生活保護を受けていた!」からの続き

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中学2年生の時にロックンロールに目覚める

矢沢さんは、中学2年生の時、ラジオから流れるヒット曲を聞くうちに音楽が好きになり、当時、一番好きだった曲は、「太陽はひとりぼっち」(1962年公開のイタリア映画の主題歌)という曲だったそうですが、

やがて、エレキブームが到来し、ラジオで、生まれて初めて、「ビートルズ」の曲「Please Mr. Postman」を聴くと、エレキギターの音に、

雷がドーンと落ちたくらいの衝撃

を受け、すぐにロックンロールに夢中に。

さらに、その後、「ザ・ベンチャーズ」の広島公演を観に行くと、エレキのサウンドにたちまち虜(とりこ)になり、学校をサボっては、エレキコンテストを見に行くほか、(もちろん買えなかったので)エレキギターを買った友達の家に行っては入り浸ったそうで、

矢沢さんは、

どんな苦しい境遇でもビートルズがいた。それには心から感謝している。もうドッカーンというエネルギーで、僕を音楽の世界へ引っ張ってくれた。それがなかったら僕の人生はどうなっていたか見当もつかない。

と、ロックスターになることを夢見るようになったのでした。

将来の夢は「板金屋」の親方だった

ただ、現実には、矢沢さんは、小学5年生の時に、初めて、近所のお屋敷で清掃の仕事(バイト代は1日100円)を始めると、小学6年生からは、新聞配達、牛乳配達、フィルム運びの仕事をし、

高校1年生の時には、土方、三菱の船のシリンダー磨き、工場の屋根のガラス磨き(この時、滑って死にそうになったとか)などのアルバイトを掛け持ちしており、

あくまで、ロックスターは憧れに過ぎず、高校1年生の時の矢沢さんの夢は、「板金屋」になることだったそうです。

(「板金屋に就職して3万円ずつ貯金をし、10年貯めて板金屋の店を持って、親分になりたい」と、かなり具体的な将来設計を立てていたそうです♪)

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デール・カーネギーの「人を動かす」が愛読書だった

そんな矢沢さんは、高校1年生の時、アルバイト先の社長に、

君は好青年だ

見込みがある目をしてる

しゃべり方も、高校生にはない輝きがある

と、とても気に入られたそうで、

「これをやるから」と言いながら渡されたのが、「人を動かす」(デール・カーネギー著)という本だったそうです。


人を動かす

すると、矢沢さんは、たちまちその本に魅了され、10回以上も繰り返し読むほど気に入られたそうで、それをそのまま実行された訳ではないそうですが、

ああなるほど。なるほど。一理あるな、一理言えるな。

と、今でも無意識のうちに役立っているとおっしゃっていました。

「矢沢永吉は昔危うく親戚一家皆殺しにするところだった?」に続く

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