中学時代には、有名人のモノマネをすることで、極度の人見知りを克服し、人気者になったという、竹中直人(たけなか なおと)さんですが、同時期に始めた音楽では、極度の人見知りのせいで、何度も失敗したといいます。

「竹中直人は少年時代モノマネで人見知りを克服していた!」からの続き

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中学生の時にギターを始める

幼い頃から極度の人見知りだったことから、中学生の時には、人見知りを克服するためモノマネを猛練習し、クラスの人気者になったという竹中さんですが、

その一方で、小学生の頃、加山雄三さんがエレキギターを持って歌っている姿を見て、エレキギターの存在を初めて知ったそうで、

当初は、裕福な友達の家に加山さんと同じフェンダーのエレキが置いてあるのを見て、

加山さんのギターと同じだぁ

と、ただただ憧れて眺めていただけだったそうですが、

中学生の時、フォークが流行り始め、古井戸、吉田拓郎さん、井上陽水さん、RCサクセションのフォークを聴くようになると、そのうち、

俺にも弾けるかもしれない

と、思い、安いギターを買い、ギターを弾き始めたそうです。

高校時代には「ヤマハポプコン」でオリジナル曲がテープ審査を通過

すると、高校では、友人の佐賀くんから、「一緒に音楽をやらないか?」と、声をかけられ、行動をともにするようになったそうで、

学園祭で演奏するため、佐賀くんと一緒にオリジナル曲を書いて、ギターを弾き歌を歌うなど、音楽活動を始めたそうです。

そして、ある時、佐賀くんと一緒に作った「雨が怖い」という曲を、ヤマハポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に応募すると、神奈川地区大会のテープ審査に通り、神奈川地区の予選で演奏することになったのだそうです。

(びっくりすると同時に、自分たちが作った曲が審査に通ったということがとても嬉しかったそうです)

「ヤマハポプコンで」の予選では緊張で歌詞を忘れインストバンドになっていた

そこで、竹中さんは、ロックバンドをしている友人を誘い、ロック調にアレンジすると、ヴォーカル&ギターを担当し、神奈川地区大会に挑んだそうですが・・・

いざ会場に立つと、たくさんのお客さんに、緊張のあまり、歌詞が出てこなくなってしまい、結局、歌えないまま、終わってしまったそうで(ただのインストバンドになってしまったそうです)、

大会が終わった後、参加してくれたバンドのメンバーに申し訳なくて仕方なく、「ごめんねごめんね」と謝りながら号泣したのだそうです。

(竹中さんは、この極度のあがり症のせいで、その後も、ライブで何度も失敗したそうです)

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音楽をすることでアイデンティティを保っていた

ちなみに、竹中さんは、この頃のことを、

すごく髪を伸ばしたんです。パーマをかけたくて。僕は昔からおでこが広かったのですが、長髪でそのおでこは隠れていたんです。

でも、ポールと同じ髪型をリクエストしたにもかかわらず、おでこは丸出し。しかも頭頂部だけがパンチパーマ、サイドはふにゃふにゃのウェーブパーマという信じられない髪型になってしまって。

もぉ生きていけねぇと思いましたよ。実際に電車に乗っていても、周囲から“何だあいつ”って囁く声が聞こえてくるし(笑)

でも、ギターがあったから耐えられましたね。ギターを持っていると、俺のヘンな髪型を見て笑っているやつに対しても“俺はお前たちとは違うんだ、音楽をやってるんだ”って思えたんです

と、明かしています。

「竹中直人が映画製作を始めたのは好きな女の子を撮るためだった!」に続く

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