1969年、21歳の時、「アンドレ・カンドレ」名義でシングル「カンドレ・マンドレ」でデビューした当初は、鳴かず飛ばずも、

1971年に事務所を移籍し、1972年3月、「人生が二度あれば」で再デビューすると、1973年12月には、アルバム「氷の世界」が日本初のミリオンセラーを記録した、井上陽水(いのうえ ようすい)さん。

そんな井上陽水さんは、中学・高校時代は、ビートルズに熱中する中、両親からは家業だった歯科医になることを期待され、歯科医を目指して九州歯科大学を受験するも、不合格になっていたといいます。

そんな中、2度目の浪人中の1969年、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のデビュー曲「帰って来たヨッパライ」を聴き、音楽に転向することを決意したといいます。

今回は、井上陽水さんの生い立ち(幼少期から歯科大学二浪まで)をご紹介します。

アンドレ・カンドレ

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井上陽水のプロフィール

井上陽水さんは、1948年8月30日生まれ、
高知県幡多郡佐賀町の出身、
福岡県嘉穂郡幸袋町(現在の福岡県飯塚市幸袋)生まれ、
福岡県田川郡糸田町育ち、

血液型はAB型、

学歴は、
糸田小学校
⇒糸田中学校
⇒福岡県立西田川高等学校卒業

だそうです。

井上陽水の本名は?芸名の由来は?

井上陽水さんの本名は、「井上陽水(いのうえ あきみ)」というそうで、漢字表記が同じで読みだけが異なるそうです。

また、旧芸名は、「アンドレ・カンドレ」なのですが、「アンドレ・カンドレ」時代は鳴かず飛ばずだったことから、吉田拓郎さんを意識したレコード会社に、

拓郎(たくろう)のように陽水(ようすい)にしよう

と、言われ、

すんなりと受け入れ、1971年に、「井上陽水(いのうえ ようすい)」となったそうです。

(井上陽水さんとしては、名前などどうでもよく、ただいい曲を作りたかっただけだったそうです。ちなみに、「井上陽水」に改名後、大ブレイクしています)

井上陽水は幼い頃から歌が上手かった

井上陽水さんは、開業歯科医だったお父さんの井上若水(いのうえ わかみ)さんのもと、3人きょうだい(姉1人、妹1人)の長男として誕生すると、幼い頃から家業を継ぐべく英才教育を施されていたそうです。

ただ、9~10歳くらいの時、町内旅行の貸切りバスの中で、美空ひばりさんの歌を歌ったところ、うまいと褒められたそうで、この時、人前で称賛されることの喜びを感じると同時に、自身の美声も意識したそうです。

(井上陽水さんは、小学校時代を通して、子供会や婦人会の集まりで、よく歌を歌わせられていたそうですが、この時も、うまいと褒められていたそうです)

井上陽水は小学校時代からプラターズやエルヴィス・プレスリーなどの洋楽を聴くようになっていた

そんな井上陽水さんは、小学校の頃から、8歳年上のお姉さんの影響で、プラターズやエルヴィス・プレスリーなどの洋楽を聴くようになったそうで、

ヒットパレード系のラジオに夢中になったそうです。

井上陽水は中学3年生の時にビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いて衝撃を受けていた

そして、1963年、中学3年生の時には、小島正雄さんのラジオ番組で紹介された、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を初めて聴いて衝撃を受けたそうで、

以降、一日中、ビートルズのレコードを聴くなど、ビートルズに熱中していったそうです。

井上陽水は高校時代には”ビートルズ狂い”と呼ばれるほどビートルズに熱中していた

そんな井上陽水さんは、高校入学後は、ますますビートルズ熱がエスカレートし、周りからは、”ビートルズ狂い”と呼ばれるほどになったそうで、

一日中、仲間たちとビートルズを歌い、休日には当時出始めたオープンリールのテープレコーダーで、自身の歌声を録音するなど、ビートルズ漬けの生活を送ったのだそうです。

(そのうち、仲間内だけではなく、町内でも、音楽狂として名が知られるようになったそうです)

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井上陽水は二浪中の21歳の時に「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「帰って来たヨッパライ」を聴いて音楽の道を志していた

しかし、井上陽水さんは、両親に家業を継いで歯科医になることを期待されていたことから、1967年、九州歯科大学を受験するのですが、不合格。

(井上陽水さんいわく、失敗の原因は、ビートルズ、女性、性的不安だったそうです)

そして、翌年の1968年も、浪人して予備校に通い、再び受験するのですが・・・またも不合格。

(井上陽水さんいわく、今度の失敗の原因は、ビートルズ、女性、パチンコ、マージャンだったそうです)

そんな中、井上陽水さんは、二浪中の1969年、21歳の時、ラジオの深夜放送で聴いた、「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「帰って来たヨッパライ」が、テープの高速回転のテクニックを使っていたことから、自分自身も高校時代、歌を録音する際に、早回しで遊んでいたことを思い出し、

これなら自分にもできる

と、思ったそうで、

音楽でひと山当てたい

と考えるようになり、見よう見まねでギターを始めたのだそうです。

(ちなみに、3度目の大学受験(1969年)も、当然のごとく不合格だったそうで、井上陽水さんいわく、この失敗の原因は、”受験慣れ”とのことでした(笑))

「井上陽水の若い頃はアンドレ・カンドレ!カンドレ・マンドレでデビューも鳴かず飛ばすだった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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