1971年に公開された映画「八月の濡れた砂」の主題歌「小さな日曜/八月の濡れた砂」を歌唱すると、1972年には「小さな日曜日」でレコードデビューした、石川 セリ(いしかわ せり)さん。
そんな石川セリさんのお父さんはアメリカ人だったそうですが、石川セリさんはそのことを知らずに育ったといいます。
今回は、石川セリさんのお父さん、お母さん、妹さんなど、実家の家族について、生い立ちを交えながらご紹介します。
石川セリのプロフィール
石川セリさんは、1952年12月27日生まれ、
神奈川県相模原市の出身、
学歴は、
玉川学園高等部卒業?
本名は、井上セイディ(いのうえ セイディ(Seidy))
だそうです。
石川セリは幼い頃からきょうだいの中で1人だけ外国人風な顔立ちだったことに違和感を覚えていた
石川セリさんは、5人きょうだいの長女として誕生すると、両親にとても可愛がられて育ったそうですが、
幼い頃から、きょうだいの中で1人だけ外国人風な顔立ちだったことに違和感を覚えていたほか、6歳の時に両親の結婚式に出席しているという、不思議な記憶があったそうで、
そんな中、お手伝いさんが発した一言で、自分だけ父親が違うという事実を知ったといいます。
石川セリの父親はアメリカ軍兵士だった
石川セリさんのお父さんは、アメリカ軍兵士のアーサー・ダイアスさんと言い、お母さんがアメリカ軍施設でタイピストとして働いていた時、知り合っそうですが、
お父さんには、この時すでにアメリカに婚約者がおり、お母さんと石川セリさんを日本に置いて、アメリカに帰ってしまったそうで、
その後、お母さんが日本人男性と再婚すると、石川セリさんは、本当のお父さんのことを明かされずに育てられたのだそうです。
ただ、石川セリさんは、本当のお父さんのことを知った後も、そのことを忘れようと心に誓ったといいます。
石川セリは生死をさまよう中、夢の中で実の父親が現れ、忘れられなくなっていた
ただ、それから、長い長い歳月が経ち、2004年9月、石川セリさんは、51歳の時、タクシーに乗った際、胸に強烈な痛みが走ったことから、緊急搬送されると、急性大動脈解離であることが判明したそうで、
大動脈を人工血管に置き換える大手術を行うと、手術は成功したものの、合併症などで生死をさまよったそうですが、
そんな中、夢の中に、軍服を着た実のお父さんのアーサー・ダイアスさんが現れ、
頑張れセリ!!
と、3日間、励まし続けてくれたそうで、
その日を境に徐々に回復したそうですが、それ以来、お父さんのことが忘れられなくなってしまったのだそうです。
石川セリは父親の居場所を突き止めるも父親はすでに他界していた
そんな石川セリさんは、2010年頃からお父さんを探し始め、ついに、2011年に、お父さんの居場所を突き止めたそうですが・・・
お父さんはすでに他界されていたのだそうです。
そこで、石川セリさんは、せめてお墓参りだけでもしたいと思い、渡米してお父さんの家族と対面したそうですが、驚くべき事実を知ったといいます。
というのも、お父さんは、ずっと前から、妻と子どもたちに、
いつか会う日が来たら、暖かく迎えて欲しい
と、石川セリさんのことを話していたそうで、
亡くなるまで、石川セリさんのことをずっと心配していたというのです。
(また、お父さんは腕に「セリ」と彫っていたそうです)
さらに、お父さんが亡くなったのは、石川セリさんが手術の合併症で生死をさまよっていた2004年9月だったそうで、お父さんは、石川セリさんを気にかけて夢に出てきていたのでした。
石川セリは継父にも可愛がれていた
ちなみに、石川セリさんの継父は、2010年に他界されたそうで、
石川セリさんは、自身のブログに、
父が(1月)16日に天に召されました。私と血のつながりのない父ですが父でした。私が6歳の時に母は彼と結婚しました。結婚式を私は見ていたと思います。
と、綴っています。
また、継父について、
父は『浜っ子』で親戚の集まりが多くお正月は楽しみでした、横浜の水谷家での『新年会』は皆さん揃います「お年玉」とおせち料理とお寿司と「親戚こども会」の部屋に移動して〔すごろく遊び〕や〔かるた〕に〔はねつき〕〔凧揚げ〕すべてやります、着物の時もありましたね。
とも、綴っており、
他のきょうだいたちと別け隔てなく可愛がられていたことが分かります。
石川セリの母親は目鼻立ちが整った美人だった
実のお父さんがアメリカ人だったため、幼い頃から、きょうだいの中で1人だけ外国人風な顔立ちだったことに違和感を覚えていたという石川セリさんですが、
それでも、お母さんが、目鼻立ちが整った美人だったことから、きっとお母さんに似たのだろうと、それほど真剣には悩んでいなかったといいます。
ただ、そんなお母さんも、2018年3月17日に他界されています。
石川セリの妹は歌手の石川ひろみ(ROMY)
石川セリさんの妹は、歌手の石川ひろみ(ROMY)さんです。
石川ひろみさんは、1985年、アルバム「KI・A・I」でレコードデビューすると、その後は、主に、佐野元春さんのバックヴォーカルを務めるほか、姉である石川セリさんの歌のコーラスも担当していたといいます。
その後、1989年以降どうされていたのか不明だったのですが、2014年には、NHK文化センターで開催された石川セリさんのコンサートに参加し、姉妹競演を果たすと、石川セリさんのヒット曲「ダンスはうまく踊れない」のコーラスを務めているほか、
2016年にはジャズコンサートも開催するなど、現在も歌手として活動しているようです。
「【画像】石川セリの若い頃は?ダンスはうまく踊れないほか代表曲やアルバムを時系列まとめ!」に続く
1972年、19歳の時、シングル「小さな日曜日/八月の濡れた砂」でレコードデビューを果たすと、1977年には、6枚目のシングル「ダンスはうまく踊れない」がヒットを記録した、石川セリ(いしかわ せり)さん。 そんな石川セリ …