1990年、映画「少年時代」の主題歌として制作した「少年時代」が累計136万枚を売上げ、自身最大のヒットとなった、井上陽水(いのうえ ようすい)さんですが、

実は、もともと、「少年時代」は、荻野目洋子さんへの提供曲「ギャラリー」のB面のために作った曲だったといいます。

今回は、井上陽水さんが「少年時代」を作詞・作曲した経緯などを、映画「少年時代」の原作者である藤子不二雄Aさんの視点も交えながらご紹介します。

井上陽水

「井上陽水は中森明菜に「飾りじゃないのよ涙は」を自ら提供していた!」からの続き

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井上陽水は「少年時代」が自身最大のヒットを記録

井上陽水さんは、1990年9月21日、映画「少年時代」(篠田正浩監督)の主題歌「少年時代」(作曲は平井夏美さんとの共作)をリリースすると、発売直後こそ、オリコン週間シングルチャート最高20位にとどまっていたのですが、

1991年にソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMソングに起用されると、徐々に売上を伸ばしていき、最終的には、累計売上(出荷)136万枚となる自身最大のヒット曲になっています。

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井上陽水の「少年時代」は荻野目洋子の「ギャラリー」のB面(カップリング曲)の予定だった

実は、井上陽水さんは、1990年に、荻野目洋子さんにシングル「ギャラリー」を提供しているのですが、この頃、ひょんなことで親しくなった平井夏美(川原伸司)さんと一緒にそのB面(カップリング曲)についてあれこれと考えていると、

(平井夏美さんは、荻野目洋子さんのレコード会社に所属しており、同じビートルズ好きということで意気投合したそうです)

15分ほどで曲の大枠が出来たそうで、

井上陽水さんは、

“♪夏が過ぎ 風あざみ”くらいは日本語があって、あとは“♪ダラララルルル~”だった

と、語っているのですが、

B面にしては良すぎるということで、(出し惜しみという意味ではなく)A面の「ギャラリー」とのバランスや兼ね合いなどを考えて、この曲はカップリング曲には採用せず、そのままの状態で寝かすことになったのだそうです。

井上陽水は藤子不二雄Aから映画「少年時代」の主題歌の制作依頼を受けていた

そんな中、井上陽水さんは、飲み仲間だった藤子不二雄Aさんから、映画「少年時代」を制作するにあたり、音楽を作ってほしいと依頼を受けたそうで、

井上陽水さんは、ふと、作りかけていたあの曲が合うのでは、と思い立ち、「ダラララルルル~」とハミングだった部分の歌詞もそこから考え始めたのだそうです。

(平井夏美さんが、井上陽水さんに「あの映画のテーマはこういう曲だよね」と提案したことで、井上陽水さんが採用したという話も)

井上陽水の作曲した「少年時代」を聴き藤子不二雄Aは感激していた

ただ、藤子不二雄Aさんによると、井上陽水さんには、

先生が詞を書いてくれるなら作る

と、言われたそうで、

藤子不二雄Aさんは、2ヶ月かけて詞を書き上げ、井上陽水さんに渡したそうですが・・・

待てど暮せど、井上陽水さんから連絡はなく、映画関係者たちからは矢のような催促をされたそうで、藤子不二雄Aさんは、何度も井上陽水さんに電話をかけようとしては、グッと我慢していたといいます。

そして、ついに我慢が限界に達しようとした頃、ようやく井上陽水さんから連絡があったそうで、スタジオへ行って、出来上がった曲を聴くと、あまりにも映画のイメージどおりで感激したそうですが・・・

なんと、その曲には、藤子不二雄Aさんの作詞が一言も入っていなかったのだそうです。

そこで、藤子不二雄Aさんが、そのことを井上陽水さんに告げると、

井上陽水さんは、

先生の言葉は いただかなかったけど、気持ちだけはいただきました

と、答えたのだそうです(笑)

「少年時代」
井上陽水さんと藤子不二雄Aさんの「少年時代」の歌詞比較。

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井上陽水は「少年時代」を4週間スタジオに籠もって完成させていた

ちなみに、藤子不二雄Aさんが映画関係者からの矢のような催促をされていた頃、

実は、井上陽水さんは、全国ツアーをキャンセルし、4週間、一度も自宅に帰らずスタジオにこもって曲作りを行っていたそうで、

藤子不二雄Aさんは、

「少年時代」という映画のストレートなタイトルが、井上陽水さんを突き動かしたのでは

と、語っています。

「井上陽水がPUFFYに提供した「アジアの純真」の歌詞は奥田民生の鼻歌だった?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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