早稲田大学在学中、「劇団 暫(げきだんしばらく)」で演劇活動していたところ、つかこうへいさんと知り合われると、つかさんに鍛えられ、以降、つか作品に数多く出演された、三浦洋一(みうら よういち)さん。今回は、そんな三浦さんの出演作品を画像を交えてご紹介します。

「三浦洋一の若い頃は?つかこうへいと劇団暫で出会い俳優に!」からの続き

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「さすらい刑事旅情編」などリーゼント姿で人気

つかこうへいさんとの出会いで演劇漬けとなり、当初は逃げ出したこともあった三浦さんですが、やがて、つかさんの世界にどっぷりハマり、「熱海殺人事件」など、つかさんの作品に数多く出演されると、1976年には、「前略おふくろ様 第2シリーズ」でテレビドラマデビュー。


「熱海殺人事件」より。

1978年には、「星空のマリオネット」で映画デビューも果たすと、同年、テレビドラマ「七人の刑事」の北川刑事役で、たちまち人気者になられます。


「七人の刑事」より。左端が三浦さん。

(三浦さんは、当時、流行していたロックバンド「キャロル」のファンで、リーゼントにされていたのですが、それがそのまま、三浦さんのイメージとして定着しています。)

また、その後も、「池中玄太80キロ」(1980)のヒデこと前川秀也役、「さすらい刑事旅情編」(1988~1995)での香取刑事役(7シーズンに渡って主演)などで人気を博しています。


「池中玄太80キロ」より。


「さすらい刑事旅情編」より。(左から)斎藤晴彦さん、若村麻由美さん、三浦さん、小倉久寛さん。

出演作品(テレビドラマ)

それでは、ここで、三浦さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1976年「前略おふくろ様」第2シリーズ
1977年「俺たちの朝」第31話
1978年「明日の刑事」第17話
     「七人の刑事」
1979年「雲霧仁左衛門」
1980年「御堂筋の春」
     「池中玄太80キロ」
     「旅がらす事件帖」


「池中玄太80キロ」より。西田敏行さん(左)と三浦さん(右)。

1981年「関ヶ原」
     「タクシー・サンバ」
     「俺はご先祖さま」
1982年「アイコ16歳」
     「裸の大将」第10話
     「あんちゃん」
1983年「みんな大好き!」
     「胸さわぐ苺たち」


「あんちゃん」より。三浦さん(左)と水谷豊さん(右)。

1984年「25才たち・危うい予感」
1986年「遊びじゃないのよ、この恋は」
     「わたしの可愛いひと」
     「な・ま・い・き盛り」
     「ママをたずねて三千里」
     「小公女セーコ」


「な・ま・い・き盛り」より。三浦さんと中山美穂さん。

1987年「人間交差点」
     「ベストフレンド」
     「アナウンサーぷっつん物語」
     「キスより簡単」
1988年「痛快!ロックンロール通り」
     「27才・LOVE気分」
     「ザ・スクールコップ」
     「さすらい刑事旅情編シリーズ」
     「晴海コンパニオン物語」


「痛快!ロックンロール通り」より。(左から)沢口靖子さん、三浦さん、原田喧太さん、後藤久美子さん。


「さすらい刑事」より。(左から)宇津井健さん、三浦さん、渡辺裕之さん。

1989年「ハートに火をつけて!」
     「三毛猫ホームズシリーズ」
1990年「いけない女子高物語」
1991年「熱血!新入社員宣言」
1992年「子供が寝たあとで」
1993年「嘘つきは夫婦のはじまり」
1996年「夢暦長崎奉行」


「子供が寝たあとで」より。

1997年「放浪記」
     「家政婦は見た!」
     「湯けむり仲居純情日記7」
1998年「火曜サスペンス劇場/検事 霧島三郎5」
     「新選組血風録」
2002年「御家人斬九郎 第5シリーズ」第5話


「御家人斬九郎」より。

出演作品(映画、cm)

映画では、

1978年「星空のマリオネット」
     「冬の華」
1979年「十代 恵子の場合」
     「総長の首」
     「戦国自衛隊」
1980年「影の軍団 服部半蔵」
1983年「刑事物語2 りんごの詩」
1987年「トットチャンネル」


「星空のマリオネット」より。武井一仁さん、亜湖さん、三浦さん。

CMでは、

????年「ヤマヒサ」
1986年「象印マホービン」
????年「トーヨーサッシ」
1987年「セントラルファイナンス」
1988年「キリンビバレッジ キリンオレンジファミリー」
1989年「ミツカン 味ぽん」


「ミツカン 味ぽん」より。三浦さんと西田敏行さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

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ロックバンド「ホット・リップス」のヴォーカル

また、三浦さんは、1982年には、俳優業のかたわら、ロックバンド「ホット・リップス」のヴォーカルとしても公演を行われており、

早稲田では、目上の権威というか、価値観というものを壊してやろうという反抗精神を培ったのかもしれない。ロックも矢沢永吉あたりから、日本の原形が出てきますよね。

彼らのコンサートに行ってみて非常に口惜しかったのは、電気の力を借りて何千、何万の人を熱狂させてしまうというところでした。芝居では、僕らが生の声で何日間もかけてやるところを、彼らは一日でそれ以上のことをやってしまうわけですよ。

だから「こりゃ一体どういうことなんだ?」と思ってやってみたのが、「ホット・リップス」というバンドのボーカルだったんです。やってみて初めて、それが大変だったかわかったんですね。

まず、ライブハウスを回るでしょ。バンド自体はプロなんですが、僕のボーカルだけ素人なんですよ。そうすると客が途中で帰ってしまううんです(笑)。客はシビアですからね。それから、新宿でライブを2ステージやって家に帰ったら、足腰が立たなくなったことがありました(笑)。動きっぱなしでしたからね。

「ああ、彼らのやっていることはこういうことなのか」とそこで納得したんです。未だにミック・ジャガーは東京ドームの右から左まで走ってますけどね(笑)。

でもロックン・ロールが僕にぴったりくるというのは、やっぱり体制に対する反発というか、ジェネレーションの戦いというテーマがありましたからね。今の子たちが聴いているものとは違いましたね。ダイレクトで荒々しく、なおかつゴツゴツしているというか。

と、語っておられました。

「三浦洋一の死因は?晩年は嫁の連れ子にDVほか隠し子で干されていた!」に続く

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