1962年には、「下町の太陽」で歌手デビュー、翌年の1963年には、山田洋次監督の同名タイトルの映画で下町のヒロインを演じ、一躍、庶民派女優として人気を博した、倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)さん。その後、倍賞さんは、山田監督の常連女優となると、1969年、映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎の妹さくら役で大ブレイクを果たします。

「倍賞千恵子のデビュー当初は映画女優が嫌で嫌で仕方なかった!」からの続き

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「男はつらいよ」のさくら役でブレイク

山田洋次監督の「下町の太陽」で、一躍、庶民派女優として人気を博した倍賞さんは、

以降、

1965年「霧の旗」
1966年「運が良けりゃ」
     「なつかしい風来坊」

など、山田監督作品の常連女優となり、

1969年5月にも、事務所から山田監督の新作への出演依頼が来ていることを告げられ、

どんな作品なんだろう

と、興味津々で台本を読んでみたところ、これが、おもしろくて、おかしくて、また涙も出てきたそうで、

映画の舞台となる葛飾柴又の人たちが、私が暮らしていた下町の人たちととても似ているのです。風来坊のお兄ちゃん、団子屋のおいちゃん、おばちゃん、印刷工場の社長さん・・・・・。「いる、いる。こんな人、 絶対いるよ」とこころの中で叫んでいました。

と、出演を快諾。

こうして、倍賞さんは、同年、映画「男はつらいよ」で、主人公・車寅次郎(渥美清さん)の妹・さくら役を演じると、気ままな旅暮らしの寅次郎を心配しながらも、明るく健気なキャラクターがハマり役に。この作品で倍賞さんの人気は不動のものとなったのでした。


「男はつらいよ」より。さくらに扮する倍賞さん。

「フーテンの寅」と「見送るさくら」の銅像が建てられる

ちなみに、この「男はつらいよ」、当初1話で終わる予定が、大ヒットしたため、1995年まで続くシリーズとなったのですが、

1999年には、その人気を反映して、舞台となった東京柴又駅に、「フーテンの寅」の銅像が建てられ、それから18年後の2017年3月には、

妹のさくらがいてほしい

という、多くのファンからの要望で、寅さんと目を合わせた形の「見送るさくら」像が新たに建てられています。

(劇中、さくらは、いつも、寅さんが家を出ていくのを見送っていたことから)


「フーテンの寅」像と「見送るさくら」像

実は、倍賞さんは、自身とはタイプの違う、さくらとのギャップに悩んだこともあったそうですが、今では、自身の一部と思えるほどになられているそうで、

除幕式に参加された際には、

銅像ができるというお話をいただいたのが2年くらい前。 映画からも随分時が流れて、なんか自分の妹がいるみたいな感じ。 私の分身なので、感動に胸打たれています。

と、おっしゃっていました。

(また、倍賞さんは、2020年7月には、誰もが知るスターの人生を紐解くテレビ番組「ザ・偉人伝」に出演し、作品の舞台となった柴又で、渥美清さんとの思い出を振り返えられています)

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山田洋次監督映画に60本以上も主役またはマドンナ役で出演

そんな倍賞さんは、「男はつらいよ」と並行して、

1970年「家族」
1972年「故郷」
1975年「同胞」


「故郷」より。倍賞さんと井川比佐志さん。

ほか、山田監督の作品に数多く出演されているのですが、全作品で主役またはマドンナ役を演じられており、1986年「キネマの天地」までの出演作品数は、なんと60本以上。

これほど、長期に渡ってコンビを組まれるとは、よほど、倍賞さんと山田監督は相思相愛だったようです。

「倍賞千恵子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

(左から)山田監督、見送るさくら像、倍賞さん。

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