俳優の沖雅也さんの養父であり、所属事務所の社長として、沖さんを支え続けた、日景忠男(ひかげ ただお)さん。そんな日景さんの生涯について調べてみました。

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年齢は?出身は?本名は?

日景さんは、1937年1月2日生まれ、
東京都のご出身、

学歴は、
台湾の大学を卒業
⇒東京大学大学院

ちなみに、日景忠男は本名で、

お父さんは台湾人、
お母さんは日本人です。

若い頃は久保新二や楳図かずおと!

日景さんは、実家が台湾の大学病院という、裕福な家庭に生まれ育つと、
台湾の大学を卒業後、東京大学大学院に進学されるのですが、

この頃から、ピンク映画の俳優、久保新二さんや、
漫画家の楳図かずおさんと交際されていたようで、(楳図さんとは同棲)

(日景さんをゲイの道に進ませたのは、久保さんだと言われています)

その後は、就職もせず、両親からの仕送りで生活し、
ゲイバーを開くなど、まさに放蕩息子という生活を送っていたそうです。

沖雅也と愛人契約

そして、そんな中、池袋のゲイバー「げれえ」で働いていた、
当時まだ15歳だった沖雅也さんと知り合われると、
愛人契約を結び、同棲をスタート。

その後は、俳優志望だった沖さんの夢を叶えるべく、
芸能事務所「JKプランニング」を設立して、
パトロン、マネージャーとして沖さんの芸能活動を支えられ、

1975年には、沖さんと養子縁組し、
養父となって裏方に徹すると、その努力が実り、

沖さんは、「必殺シリーズ」「太陽にほえろ」「俺たちは天使だ!」
などの作品に出演され、一躍人気俳優となられたのでした。

沖雅也が飛び降り自殺

しかし、1983年、沖さんが、まだ31歳という若さで、

おやじ 涅槃で まってる

と、書かれた遺書を遺し、
新宿京王プラザホテルの47階から飛び降り自殺。

これには、日景さんはショックを隠しきれず、新聞の取材に対し、

黙って家を出ていなくなってから心配してた。
しかし、最近は変わったところもなく、どこかで遊んでいると思っていた。

と、涙を抑えながら語ったのでした。


左端の位牌を持っているのが日景さん。

沖雅也の保険金3億円を受け取るも・・・

そして、沖さんの通夜では、人目もはばからず泣きじゃくり、
沖さんにかけていた保険金3億円を受け取ると、

ベッドに現金3億円を敷き詰めて、その上に寝転がりながら、

これが沖の全てだ!

と、思わず口にしたそうですが、

(もともと、沖さんには1億円の保険金がかけられていたのですが、
 日景さんの知らないうちに、保険会社の担当者が3億円に設定し直したそうで、
 期せずして日景さんは3億円もの大金を手にすることになったそうです)

その後は、沖さんの実母と遺産の分配でもめると、
数千万円を和解金として支払い、

残りの保険金は、新宿2丁目でゲイ喫茶「シンドバッド」を始めるほか、
ベンツやティファニーなどの超高級な調度品を買いあさったり、

海外旅行に行って1泊17万円もする部屋に1ヶ月泊まるなどの浪費を続け、
沖さんが亡くなって、たったの3年で保険金を全部使い果たしてしまいます。

さらには、知人の会社社長から2億円を借りてマニラに別荘を建てるも
その借金も踏み倒すなど、転落の一途をたどると、

追い打ちをかけるように、「シンドバッド」の経営もうまくいかなくなり、
最後はテナント料を約700万円滞納。

借金でクビが回らなくなり、沖さんと住んでいたマンション、
も差し押さえられてしまうと、買い集めた調度品も売り払い、
中野のアパートに引っ越しせざるを得なくなってしまいます。
(ゲイ喫茶は2002年5月に閉店)

横領、恐喝、覚せい剤で逮捕

ただ、そんな中、2003年には、日景さんの窮状をみかねた前述の会社社長が、
風俗案内店を一緒にやらないかと、声をかけられるのですが・・・

日景さんは、2005年12月には、
「覚せい剤取締法違反」で逮捕され、役員を退任させられると、

2008年には、
「暴力団幹部と共謀して社長を恐喝」した疑いで逮捕され、

同年秋には、再び、「覚せい剤使用・所持罪」で逮捕され、
翌年の2009年1月には、懲役1年2月の判決が確定します。

ちなみに、その社長は、当時のことを振り返り、

五反田は風俗店が多いわりに、案内所が少なかったんです。

そこで無料案内所を一緒にやらないかと持ちかけ、
私が社長で日景を専務にし、会社を立ち上げました。

儲かり始めると、彼は経理をやると言い出したのです。

後からわかったのですが、
日景は店の売上げを2億円近く横領していました。

しかも、その後、彼は、(中野の)アパートから、
品川のタワーマンションに引っ越したのです。

税務署からは申告漏れの指摘を受けるし、会社も解散に追い込まれた。
世話になったこともあったが、本当に酷い目にあった。
それで彼とは縁が切れたのです。

と、明かされています。

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死去

そんな日景さんは、2度目の逮捕後、もともと患っていた「C型肝炎」が悪化し、
勾留中、腹水が溜まったため入院されると、「肝硬変」と診断され、

刑務所では基本的に寝たきりで、
車椅子を使わないと移動できないほどの状態だったとのこと。

そして、月日が経った2016年、「週刊新潮」の記者が、
改めて沖さんのことを聞こうと、日景さんに接触を試みたところ、

日景さんの親族から、日景さんが、
2015年2月に他界されたことを告げられたのでした。

ちなみに、その親族によると、日景さんは晩年、
お姉さんに面倒をみてもらっていたそうですが、
葬式も行われず、寂しい旅立ちだったようです。

さて、いかがでしたでしょうか。

現在とは違い、同性愛者であることが差別の対象だった時代、
沖さんの裏方に徹し、沖さんを支え続けた日景さんですが、

皮肉にも、沖さんが亡くなってからは、
日景さんの人生は一変してしまい、転落の一途。

もちろん、多額の保険金を手に入れたから、というのもありますが、
かわいがっていた人に自殺されるという苦しみからだったのかもしれませんね。

もし、沖さんが生きていたら・・・
そう思わずにはいられません。

日景さんのご冥福をお祈り致します。

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