父親が俳優の三國連太郎さんということで、デビュー作から大役がつくなど、恵まれたスタートを切った、佐藤浩市(さとう こういち)さんでしたが、演技は素人だったため、1983年、映画「魚影の群れ」の撮影現場ではNGを連発。そこで、奇をてらった演技をするようになったといいます。
「佐藤浩市が若い頃は深作欣二監督を激怒させていた!」からの続き
映画「魚影の群れ」ではNG連発で撮影中止となる屈辱
佐藤さんは、1983年、マグロに賭ける男たちと、そんな男たちを支える女の愛憎を描いた映画「魚影の群れ」(相米慎二監督)で、一人前の漁師になろうと志す青年・依田俊一役を演じられているのですが、
「魚影の群れ」より。夏目雅子さんと佐藤さん。
佐藤さんによると、撮影初日は、恋人・トキ子役の夏目雅子さんと砂浜で会話するシーンから始まったそうですが、なかなかOKが出ず、「はい、もう一回」と言われ続けたそうで、その後、稽古して撮影に入るも、やはりOKは出ず、「はい、もう一回」と言われ続けたそうです。
そして、その後も、稽古して撮影に入るのですが、やはりOKが出ず、ついには、監督から、「やめよう」と言われてしまい、初日はまったく撮影できず、とても凹んだそうです。
そこで、翌日から佐藤さんは、
このやり方がダメだったら次は何をやろうか
と、毎回、セリフを変えたり、アクションを変えたりと、芝居を変えるようにしたそうで、
主演の緒形拳さんと初めて喫茶店で会うシーンでも、何度もNGを出してしまったため、思い切って、喫茶店のトイレから出てきたところに、店に入って来た緒形さんと出会う、という芝居に変えたところOKが出たそうで、このことがきっかけとなり、奇をてらった芝居をすればいいと考えるようになったそうです。
(今考えれば、浅はかだったと思うそうですが)
死ぬ役は「死にに行かない演技」と気づく
また、この映画では、佐藤さんは、最後に事故で死んでしまうのですが、死ぬ芝居をしたところ、相米監督から、
お前、なに死ににいってるんだ
と、言われ、ハッとしたそうで、
台本を読めば死ぬって分かっているわけじゃないですか。あらかじめ死ぬと思っているから、こっちは死ににいくんですよ。でも、そうじゃない。
僕の演じる俊一という男は死のうとはしてないんです。でも死んじまう。そう思ったことが、ホンの読み方のヒントになりました。
自分では結末を分かっている、何が起きるかを分かっている。それを前提にして芝居してはいけないということです。まず、その前提を捨てることなんですよね
と、語っておられました。
映画「犬死にせしもの」では奇をてらって本番で芝居を変え倒していた
そんな佐藤さんは、1986年には、終戦直後、瀬戸内海を荒らし回った海賊たちの青春を描いた映画「犬死にせしもの」で、主人公の海賊・鬼庄役を演じられているのですが、
「犬死にせしもの」より。(左から)佐藤さん、真田広之さん、堀弘一さん
この映画でも、「魚影の群れ」でうまくいったように、本番でガンガン芝居を変えたそうです。
すると、共演者の西村晃さんに、
浩市、俺は付き合うよ。でも、そういうのがダメな役者もいるからな
と、言われたそうですが、
それでも、この時は、
何を言ってるんだ。やったもん勝ちだ
と、思っていたそうです。
しかし、佐藤さんが、蟹江敬三さんと吉行和子さんの二人にケンカを売って出ていき、蟹江さんと吉行さんが残る、というシーンを演じた際、それでは面白くないからと、灰神楽(はいかぐら)の灰を投げつけて出ていく、という芝居をすると、監督からは「OK」が出たそうですが、出来上がった映画を観ると、佐藤さんが投げた真っ白い灰の中で、蟹江さんと吉行さんは延々とお芝居をされていたそうで、
この時、佐藤さんは、
俺は一人じゃないんだ
と、自分が勘違いしていたことに気づいたそうです。
このことがきっかけとなり、佐藤さんは、自分が芝居を変える時には、あらかじめ、演出家と共演者に「こうなるかもしれません」と提示するようになったそうで、
芝居を勘違いして、遠回りしなければ見えなかった景色が見れたんだと思います。
と、語っておられました。
(下積みのある俳優には当たり前のことでも、芝居を習ったことのない佐藤さんにとっては、現場でしか学ぶことができなかったのでした)