女優としてのキャリアはわずか9年。これからという1985年、突然、病に倒れ、この世を去った、夏目雅子(なつめ まさこ)さん。今回は、そんな夏目さんの生い立ちからデビュー当初についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

夏目さんは、1957年12月17日生まれ、
神奈川県横浜市中区山手のご出身、
東京都渋谷区宮代町生まれ

身長164センチ、

血液型はB型、

学歴は、
東京女学館小学校
⇒東京女学館中学校・高等学校卒業
⇒東京女学館短期大学中退

趣味は、
毛糸の編物、絵(デッサン)、琴、古い食器収集、俳句(東京俳句倶楽部所属、俳号は海童)、生け花(草月流)、

ちなみに、本名は、「西山 雅子(にしやま まさこ)」(旧姓:「小達 雅子(おだて まさこ)」)です。

裕福な家庭でお嬢様として育つ

夏目さんは、荒物、金物、石鹸、亀の子たわし等を扱う日用品雑貨店を営むお父さんのもと、3人兄弟(3歳年上の兄と10歳年下の弟)の長女として誕生すると、

お父さんが、東京オリンピックのための道路拡張後に、店をビルにし、貸しビル業などで成功したことから、横浜の山手の高級住宅街の250坪もある邸宅に住むほか、小学校から短期大学までエスカレーター式の学校に通うなど、裕福な家庭環境で、お嬢様として、何不自由なく育ちます。

女優を志す

そんな夏目さんは、小学校3年生の時、テレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」を見て、女優(子役)を志すのですが、お母さんに猛反対されて、断念。

しかし、17歳の時、映画「ひまわり」(イタリア・フランス・ロシア合作)を映画館で観て衝撃を受けると、ヒロインのソフィア・ローレンに憧れ、本格的に女優を目指します。

女優デビューするも「お嬢さん芸」と酷評されていた

その後、1976年、短期大学入学直後に、お父さんの友人のつてで、タオルメーカー「内野株式会社(現・UCHINO)」のCMに出演されるのですが、夏目さんの通う東京女学館は、生徒の芸能活動を一切認めなかったため、夏目さんは中退。

そして、同年、テレビドラマ「愛が見えますか」のオーディションに応募すると、応募者486名の中から、見事、盲目のヒロイン役に選ばれ、本名の「小達雅子」名義で女優デビュー。


「愛が見えますか」より。右が夏目さん。

しかし、この盲目のヒロイン役は、演技初心者の夏目さんには荷が重く、なんと、57回も連続でNGを出してしまい、降板が検討されるほど酷いものだったため、野村孝監督に厳しく演技指導を受けたといいます。(その学芸会のような演技は、周囲から「お嬢さん芸」と言われたそうです)

カネボウ化粧品の「Oh!クッキーフェイス」のポスターで人気を博す

それでも、翌年の1977年、18歳の時には、カネボウ化粧品の「Oh!クッキーフェイス」キャンペーンガールに選ばれると、あわや、バストトップが見えそうな夏目さんのポスターは、貼られるたびに盗まれるという現象が起きるほど、たちまち注目を集めたのでした。

(このcmの公開当時は、化粧品メーカーの商戦が激化しており、このcmが「夏の目玉商品」だったことから、夏目さんは、本名の「小達雅子」から芸名「夏目雅子」に改名しています。)

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デビュー当初から肝が座っていた

ところで、この印象的なポスターは、どのような経緯で撮影されたのでしょうか。

このポスターを撮影した写真家の田川清美さんによると、同年2月、夏目さんたちは、チュニジアロケに参加していたのですが、

実は、このロケ、もともとは、フランスの俳優・ジャン・ポール・ベルモンドさんがメインで、夏目さんは添え物的なコンセプトのCMの撮影だったそうですが、海外ロケに出たとたん、ベルモンドさんがキャンセル。

そこで、急遽、夏目さんがメインとなったのですが、田川さんがCM撮影の合間、浜辺でデッキチェアに座って休んでいた夏目さんに、

雅子ちゃん、ちょっとバスタオルを外してみてくれる?

と、声をかけると、

夏目さんは、何のためらいもなく、バスタオルを取り、田川さんが向けるカメラに笑顔を見せたそうで、

田川さんは、

海外ロケについて行きたいと言うほど心配していたお母さんに、彼女は電話することもなく、あのシーンを引き受けた。ここまで多くの人が動いている現場で、自分1人がイヤと言ってもしょうがないと腹をくくっていました。

と、おっしゃっていました。

(夏目さんは、このCMでは、テーマ曲も歌い、シングルレコードもリリース。歌手デビューも果たされました。)

「夏目雅子の若い頃は西遊記の三蔵法師役の美しさが話題に!」に続く

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