「世界恐慌」の真っ只中に生まれ育つも、両親のお陰で貧困を感じることなく幼少期を過ごすと、10歳の頃には、「世界恐慌」も明けて裕福になり、映画で西部劇を観たり、ジャズが好きなお母さんの影響でジャズに親しむなど、裕福で文化的な生活を送っていたという、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんですが、学校の成績は芳しくなく、高校は中退し、職を転々としたそうです。

「クリント・イーストウッドは少年時代から西部劇が大好きだった!」からの続き

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学芸会で頭の悪い少年の役を演じて高い評価を得る

西部劇でカウボーイに憧れる一方、ジャズファンだったお母さんの影響で、ジャズ・ピアノを演奏するようになったイーストウッドさんですが、

中学生の時には、学校の課題で劇をすることになり、担当の先生から、頭の回転が遅くバカな少年という設定の主人公に、イーストウッドさんがピッタリだと選ばれたそうで、

(イーストウッドさんは、成績があまり良くなかったそうです)

早速、イーストウッドさんは、劇の練習を開始したそうですが、これが下手で、クラスのみんなの前で恥をかくことが死ぬほど怖かったため、本番当日は、同じ出演者の友達と学校をさぼろうと計画。

それでも、最終的には、勇気を振りしぼって舞台に立ったところ、「下手なのが面白い」と、とても評判が良かったのだそうです(笑)

(もともとコメディだったそうですが、それ以上にウケたそうです。)

学校の成績は悪かった

その後、イーストウッドさんは、ピエモンテ高校に進学すると、長身を活かし、バスケットボールの選手として才能を発揮したそうで、運動と音楽、共に高く評価されたそうですが、

(ただ、イーストウッドさん自身は、テニスやゴルフなどの個人競技の方が好きだったそうです)

一方、勉強の成績は悪く、そのため、「オークランド・テクニカル・ハイスクール」(オークランド工業高校)に転校を余儀なくされると、自動車整備士のコースを受講し、自動車と航空機のエンジンの組み立てや、航空機のメンテナンスについて、学んだそうです。

ちなみに、イーストウッドさんは、先生から、学校の演劇サークルに参加するように勧められたそうですが、当時はまだ、

速い車と尻軽女にしか興味がなかった

と、この勧めを断ったそうです。

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高校中退後は職を転々

そんなイーストウッドさんは、1949年1月に高校を卒業する予定だったのですが、実際に卒業したかは不明で、

イーストウッドさんの友人たちが、

彼が学校の中で過ごしていたとは思わない。彼は他の場所で楽しい時間を過ごしていた

彼が卒業したとは思えない

と、口々に証言していることから、中退したようです。

その後は、地元のクラブでピアノの弾き語りのアルバイトをするほか、干し草のベイラー(干し草を積み上げる作業をする人)、トラックの運転手、鋼鉄炉の火夫、木材伐採工など、職を転々としたそうですが、

しばらくすると、家族の住むシアトルに戻り、オレゴン州スプリングフィールドにあるウェアハウザーのパルプ工場で、お父さんと一緒に働き始め、また、得意の水泳を活かし、ライフガードとしても働いたそうです。

「クリント・イーストウッドは飛行機が海に墜落も泳いで生還していた!」に続く

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