高校時代は、スポーツや音楽で才能を発揮するも、勉強の成績が悪く、転校を余儀なくされると、転校先の高校「オークランド・テクニカル・ハイスクール」も、ほどなくして中退し、その後は、職を転々としたという、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)さんですが、21歳の時、アメリカ陸軍に召集されると、そこで知り合ったチャック・ヒルさんにハリウッドを紹介してもらい、映画に出演するようになります。

「クリント・イーストウッドは高校を中退し職を転々としていた!」からの続き

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陸軍に入隊しライフガードとして勤務

高校中退後は職を転々としたというイーストウッドさんですが、1951年、21歳の時、アメリカ陸軍に召集されて、モンテレー半島にあるフォート・オード基地に派遣されると、訓練時のライフガードとして勤務するほか、ハリウッドの関係者を集めた特殊部隊に水泳を教えたそうで、

そのため、映画関係者の知り合いがたくさん出来たほか、兵士の訓練のための映画を何十回も見ることとなり、娯楽としてではなく、映画を分析するコツを身に着けたそうです。

飛行機が海に墜落するも自力で泳いで生還

そんなイーストウッドさんは、同年、実家のあるシアトルから勤務先のフォート・オード基地まで戻るため、軍用機「A-1」に、パイロットのフランシス・コールマン・アンダーソン中尉と相乗りした際、離陸後、トラブルが発生。

アンダーソン中尉は、陸地に墜落するのを避けて、海上に向かうと、飛行機はそのままサンフランシスコ湾沖へと墜落したのだそうです。

(この「A-1」、第二次世界大戦中に使われていた旧型の飛行機だったため、燃料切れになるほか、機内の気圧が急降下、計器類が狂うなど、それはもう、めちゃくちゃだったそうです)

ただ、イーストウッドさんとアンダーソン中尉は、墜落と同時に機外に飛び出し、必死で泳いだそうで、4キロほど泳ぐと、無事、陸にたどり着くことが出来たのだそうです。

(アンダーソン中尉は北へ漂流していたそうですが、その後、無事に再会できたそうです)

ちなみに、イーストウッドさんによると、その時は、溺れまいと必死で気が付かなかったそうですが、実は、その海は、サメがウヨウヨといるエリアだったそうで、もし、ケガで出血でもしていたなら、サメに襲われていたに違いなく、

死ぬかもしれないと思った。でも、以前は他の人がこれを乗り越えてきたと思った。私は海岸のライトを見ながら泳ぎ続けた

と、壮絶な体験を語っています。

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「ロサンゼルス・シティー・カレッジ」の演劇クラスに通い始める

その後、イーストウッドさんは、1952年春にフォート・オード基地を離れて、シアトルに戻り、しばらくの間、ライフガードとして働いていたそうですが、シアトルでは生活が苦しく、また、友達もほとんどいなかったことから、ロサンゼルスに移り住み、ガソリンスタンドで働いたそうです。

そして、1953年12月には、秘書のマーガレット・ネヴィル・ジョンソンさんと結婚。

その後は、住宅用プールの土台を掘る仕事をしながら、映画にエキストラとして出演したそうで、ロサンゼルス・シティー・カレッジ(ロサンゼルス市立短期大学)へ入学し、夜間の演劇クラス(シアター学部)に通い始めたのでした。

(フォート・オード基地時代、同地で知り合ったチャック・ヒルさんという人物が、ハリウッドを紹介してくれたことで、映画に出演するようになったそうですが、当初は、演じることにそれほど情熱を感じず、続けるうちに演技の面白さに目覚めたそうで、やがて、即興で演技ができるまでになったのだそうです。)

「クリント・イーストウッドが若い頃は演技が下手で端役ばかりだった!」に続く

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