NHK大河ドラマ「勝海舟」の制作現場では、病気を押して出演を続ける渡哲也さんの体調を心配して、NHKに渡さんの降板を進言し、代役には、当時、人気急上昇中だった松方弘樹さんのキャスティングに成功した、倉本聰(くらもと そう)さんですが、トラブルはこれで終わりではありませんでした。

「倉本聰は「勝海舟」で病気の渡哲也を休ませ松方弘樹を口説き落としていた!」からの続き

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ディレクターの勅使河原平八と対立

倉本さんは、常に、自身が書いた台本の読み合わせに参加し、セリフの言い回し、トーン、緩急、間の取り方などを確認することにしていたそうで、

(一般的に、脚本家は、台本の読み合わせには参加しないそうです)

著書「愚者の旅―わがドラマ放浪」でも、

脚本家はシナリオという活字の上だけではどうしても表現しきれないことがある。シナリオというものはいわば“寝ている”ドラマである。それを起(た)たすのは演出家であり役者である。

ところが、脚本家が台本を書く時、当然、“起き上がった姿”を想定して書くから、その起き上がりが時にとんでもない方角に誤解されると台本全体が崩れてしまう。

だからその“起き方”をチェックするのが本読みに於ける脚本家の仕事である。僕はこの本読みを、脚本家の義務だと思っている

と、語っているのですが、

この行動が、またもや、ディレクターの勅使河原平八さんから、

演出の領域に踏み込む行為だ

と、反発を買い、

勅使河原さんは、倉本さんが帰った後、

では、作家が帰ったからホンを直します

などと言っていたそうで、

このことを出演者の萩原健一さんから聞いた倉本さんは、不信感をつのらせ、勅使河原さんとの溝をいっそう深めることになります。

NHKでは労働組合が強力過ぎて制作にも支障が出ていた

また、当時、NHKでは、労働組合の力が暴力的なまでに強く、あらゆる制作の場面で、物を作り出すことよりも、サラリーマン(労働者)の権利主張が優先されており、

倉本さんの著書「愚者の旅―わがドラマ放浪」によると、

ロケーションはもっとひどい。例えば長崎ロケ。東京ロケ隊は同じNHKの九州総局(福岡)、長崎支局の各労組に、労働分配でのお伺いを立てねばならなかった。結果、こういう決定がなされた。

東京から行ったチーフカメラマン、九州総局のカメラマン、長崎支局のカメラマンの均等独自に仕事をせねばならない。で、坂本龍馬がオランダ坂をかけ下りるシーンの撮影に、まず東京が撮る。次に福岡が横から撮る。最後に長崎が下から撮る。

坂本龍馬役の藤岡弘は、三回意味なく同じアクションを強いられ、それを同時に三台のカメラが撮るならいざ知らず、独立別個に撮影するのだから、見ていた僕には訳がわからなかった

と、いう状況だったそうで、

見かねて、NHKのチーフディレクターN氏とプロデューサーに改善を申し入れると、二人は勅使河原さんに話をしてくれたそうですが・・・

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労働組合(民青)に圧力をかけられる

勅使河原さんはNHKの労働組合員だったため、あろうことか、

管理職が外部の作家に忖度し組合員を蔑(ないがし)ろにした!

と、労働組合に訴えたのです。

(チーフディレクターN氏とプロデューサーは管理職だったため、組合員ではなかったそうです)

そして、ある日のこと、倉本さんは、チーフディレクターN氏に呼び出されて、事情を説明され、「折れてほしい」と涙を流して言われたそうで、

後に、倉本さんは、インタビューで、

それを出過ぎだっていうふうに若いディレクターはとったんでしょうね。つまり、僕に何かを頼むのはプロデューサーたちでしょ。プロデューサーは管理職で、現場はみんな組合員なんですよね。

組合員と外部の倉本聰、どっちを大事にするんだって、プロデューサーが詰め寄られちゃった。しかも当時は力のあった民青(日本民主青年同盟)が組合を牛耳ってたから、本当に大変でしたよ

と、明かされています。

(※民青(みんせい=日本民主青年同盟)とは、日本共産党の活動と連携した日本の青年組織で、日米安保条約反対などの平和運動、反原発運動、学費値上げ反対運動などを実施しています)

「倉本聰は「勝海舟」でNHKへの告発文を週刊誌にでっちあげられていた!」に続く


愚者の旅―わがドラマ放浪

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