NHK大河ドラマ「勝海舟」では、主演・渡哲也さんの降板に始まり、ディレクター・勅使河原平八さんとの確執、NHKの労働組合との衝突など、様々な問題を抱えていた、倉本聰(くらもと そう)さんですが、この後、さらに酷い事態となります。

「倉本聰は「勝海舟」でNHKの労働組合に圧力をかけられていた!」からの続き

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週刊誌「ヤングレディ」の取材を受ける

様々な問題を抱えつつも、「勝海舟」の仕事を楽しんでいたという倉本さんですが、そんな中、1974年6月、NHKの広報を通じて、渡哲也さんの降板と代役問題について、週刊誌「ヤングレディ」(1987年に廃刊)から取材の依頼を受けることになります。

すると、取材中、「ヤングレディ」の記者は、やたら、NHKの不手際ばかりを熱心に聞いてくるなど、NHKの体質を批判する記事を書きたがっていたことから、倉本さんは、徹底して、NHKを養護するコメントを心がけていたそうですが、

(その間、記者はつまらなそうに話を聞いていたそうです)

最後に、記者が、

それではNHKに対し全く文句がないのですね?

と、言ってきたことから、

倉本さんもつい、これまでの勅使河原平八さんとの確執や、NHKの労働組合とのやりとりを語ってしまったのです。

「NHKへの告発文」として捏造された記事を書き直させるも・・・

そこで、不安になった倉本さんは、取材が終わって記者と別れた後、「ヤングレディ」に電話を入れ、ゲラ(試し刷り)を見せてほしいと要求すると、

やはり、ゲラの内容は酷いもので、倉本さんが1時間にわたってNHKを養護した主文は跡形もなくすべてカットされ、最後に口を滑らせた内容だけが、過激な口調に変えられて、「NHKへの告発文」となっていたそうで、倉本さんは、急いで編集部に電話を入れ、記事の差し止めを要求。

すると、その記者とデスクが自宅にやってきて、今日が校了が完了する日のため、なんともならないと言ったそうで、激怒した倉本さんは、二人を家に引っ張り上げて、目の前で新たに記事を書かせ、その後、もう一度ゲラを見せてほしいと迫ったそうですが、デスクは、最終ゲラは明朝4時にしか出ないとふてくされたそうで、

それならばと、倉本さんは、

朝4時に僕の方から貴社へうかがってゲラを拝見する

と、半分、ケンカ腰で言うと、二人は、「ご勝手に」と言って帰ったのだそうです。

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新聞広告に「倉本聰氏、「勝海舟」を内部から爆弾発言」と掲載される

すると、翌朝、倉本さんは電話で叩き起こされたそうで、

電話に出ると、NHKの制作部長とプロデューサーN氏からで、

朝刊見ましたか?ヤングレディの広告を!

すぐ行く

と、言われて電話が切れたそうで、

倉本さんは、あわてて朝刊の広告を見ると、

そこには、

倉本聰氏、「勝海舟」を内部から爆弾発言

という大きな見出しが載っていたというのです。

そして、ほどなくして、やってきたNHKの制作部長とプロデューサーN氏に、発売されたばかりの「ヤングレディ」を見せられると、

“文章”は今朝チェックしたとおりに書き改められていたものの、”見出し”は倉本さんの意図しない過激なものだったそうで、

(倉本さんが事前に確認していたゲラには”見出し”がなかったそうで、”見出し”は後からつけられていたのでした)

後に、倉本さんは、著書「愚者の旅―わがドラマ放浪」に、

あの日、それからの屈辱と口惜しさを僕は一生忘れないだろう

と、綴っておられます。

「倉本聰はNHKから吊し上げられ「勝海舟」を降板させられていた!」に続く


愚者の旅―わがドラマ放浪

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