週刊誌「ヤングレディ」の取材を受けた際、記者がNHKを批判する記事を書きたいことに気づき、当初は、努めてNHKを養護する発言を続けるも、最後には、記者の誘いに、つい、日頃のNHKに対する不満を述べたことで、「倉本聰氏、「勝海舟」を内部から爆弾発言」という見出しで新聞広告を出されてしまった、倉本聰(くらもと そう)さんですが、この後、NHKで袋叩きに遭います。

「倉本聰は「勝海舟」でNHKへの告発文を週刊誌にでっちあげられていた!」からの続き

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NHKスタッフから徹底的に吊し上げられる

新聞広告に、「倉本聰氏、「勝海舟」を内部から爆弾発言」という、週刊誌「ヤングレディ」の衝撃的なタイトルが掲載されてしまった倉本さんは、

謝罪する以上、弁明はしまい

と、心に決め、NHKに出勤したそうですが、

想像以上にNHK局内は騒然としていたそうで、昨日まで仲間だと思っていた20数名の番組スタッフからも、手のひらを返したように、これでもかというほど、徹底的に吊し上げられたそうで、

倉本さんが、

記事の内容をよく読んでくれ

と、言うも、誰も聞く耳を持たなかったそうです。

(倉本さんによると、倉本さんに同情的だったのはたったの2人だったそうで、おそらく、チーフプロデューサーとチーフディレクターN氏だと思われます)

NHKスタッフからの憎悪むき出しの攻撃にショックを受け北海道に飛ぶ

また、NHKのスタッフたちには、この時ばかりと、これまで溜め込んでいた不満(台本の読み合わせをし、演出や配役にまで口を出す倉本さんの脚本家としての在り方など)についても、1時間以上にわたって責められ、

倉本さんは、少しは自分の性格が分かっているつもりだったそうですが、仲間と思っていた人たちからの、憎悪むき出しの攻撃には、ショックで打ちのめされたそうで、

ようやく解放され、局を出ると、不意に涙が胸の奥底から突き上げるように流れたそうで、そんな顔を家の人に見られたくなくて、サングラスで目を隠し、タクシーに乗ると、その足で羽田へと向かい、そのまま北海道へと飛んだのだそうです。(1974年6月17日のことだったそうです)

また、この時、倉本さんの頭には、「敗北」という言葉が浮かんだそうで、それもそのはず、天下のNHKを相手に前代未聞の事件を起こしてしまったため、もうこの業界では生きていけないだろうと思ったそうで、

実際、「NHK大河ドラマの歳月」によると、チーフプロデューサーとチーフディレクターN氏の2人が、倉本さんとNHKの和解に奔走されたそうですが、結局、関係が修復することはなかったのでした。

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NHK大河ドラマ「勝海舟」を降板させられる

そして、その後、倉本さんは、札幌市内の旅館に身を潜めて、飲んだくれる日々を過ごしつつも、「勝海舟」の原稿は書き、航空便で送り続けたそうですが(第43話「大政奉還」(10月27日)放送分まで)、

同年9月、これまでの不摂生がたたって肝臓を壊してしまうと(肺炎を患ったという説も)、このことを理由に、NHKを降板させられてしまったのでした。

(倉本さんが自ら降板したということになっていますが、NHKはすでに代役を立てていたようなので、NHKに降板させられたというのが真相のようです。)

ちなみに、後に、当時、倉本さんと対立した演出陣の一人は、

倉本氏はその自信から「勝海舟」は自分一人で作っていくんだという思いがあり、一方我々は、一つのチームで、一つの組織で作っていきたいという思いがあったのは事実です。

脚本どおり映像化していくのが演出なのか、NHK制作の主体性・演出の主体性はどこにあるのか、ということです。結局、倉本氏がスタッフに謝罪し、その代わり降板するという最悪の形となってしまいましたが、今思えば、当時、皆若かったなあということです

と、語っておられます。

「倉本聰は「勝海舟」降板後はトラックの運転手になろうとしていた!」に続く

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