父親の三國連太郎さんはプレイボーイで家にほとんどおらず、母親も元売れっ子芸者だったことから、しょっちゅう夜に家を空ける、といった孤独な環境で育った挙げ句、中学に入る前には、父親から絶縁を言い渡されたという、佐藤浩市(さとう こういち)さんですが、それでも、父親と同じ、俳優の道に進んでいきます。
「佐藤浩市は幼少期に父・三國連太郎に絶縁を言い渡されていた!」からの続き
父親・三國連太郎のマネージャーからドラマの出演オファーを受ける
両親が離婚して、父親の三國連太郎からは絶縁を言い渡され、母親と二人暮らしを始めるも、早々に母親が男と内縁関係になって3人で暮らすこととなり、たまらず、高校2年の時、高校を中退した佐藤さんは、
子供の頃から根底に出役というのがあったとしても、口にしなかった。できなかった。というのは、近所の方だろうが小学校の同級生の親御さんであろうが、みんな「どうせ役者さんになるんでしょう」って。そう言われることへの反発があったわけです。
と、もともとは、役者になる気はなかったそうですが、
何らかの形で映画に関わりたい、という思いは持っていたことから、映画の道へ進もうと、1980年、「多摩芸術学園映画学科」に進学し、フィルムの編集の勉強をしていたそうですが、
1980年の夏休み、19歳の時、父親・三國連太郎さんのマネージャーから、「NHKが佐藤さんと背格好や歳が同じくらいの役者を探している」と言われたそうで、
役者という仕事は父親を見て知っているつもりではあったものの、自身としてもどういうものか経験してみたいと思ったそうで、NHKドラマ「続・続 事件 月の景色」に出演することになります。
NHKドラマ「続・続 事件 月の景色」で俳優デビュー
こうして、NHKドラマ「続・続 事件 月の景色」で主演で俳優デビューした佐藤さんですが、その役柄はというと、母親(岸惠子さん)と母子相姦(そうかん)の関係に陥いると、その秘密を知った少女を殺害。少女を殺害したことは認めるも、理由については黙秘する犯罪者という難しい設定だったそうですが、
佐藤さんによると、当時の映画界は、佐藤さんのようなずぶの素人にも、演技のいろはを教えてくれる余裕があり、新人を使う場合、現場は、「(新人俳優を)責任持って一人前にしたい」「得るものを持ってから大海にリリースしたい」という気持ちを持っていたそうで、
佐藤さんが、現場に入る前、NHKに通って稽古をしていると、毎日(1ヶ月半くらい)、必ず誰かが稽古についてくれたそうです。
若山富三郎から厳しい演技指導を受けていた
そして、このドラマで、佐藤さんと対峙する国選弁護人役を演じられた若山富三郎さんも、佐藤さんの父親・三國連太郎さんと知り合いだったことから、
なんとか連ちゃんの名に恥ずかしくないようにしたい
と、佐藤さんに、厳しく演技指導されたといいます。
デビュー作品で1時間もトイレに引きこもっていた
そんなある日のこと、佐藤さんの接見室での面談シーンの撮影で、
(ほとんどが接見室での面談シーンだったそうです)
若山さんから、
お前、分かっているのか。気持ちはできているのか
と、言われたことから、
ずぶの素人だった佐藤さんは、正直に、
できていません
と、言うと、
若山さんは、
気持ちができるまで、便所にこもっていろ!
と、言って、現場をストップさせたそうです。
そこで、佐藤さんは、言われるがままにトイレの個室に入り、
何度もADさんが、
佐藤君、気持ち、できた?
と、ドアをノックしてくる中、1時間もこもったそうですが、
それでも、佐藤さんは、気持ちが出来なかったそうですが、自分のせいで撮影をストップさせている現場をなんとかしなければならないと、たまらず、トイレを出て、必死で若山さん相手に芝居をしたそうです。
しかし、佐藤さんの役柄は、どんどんうつむいていくという演技をしなけれならなかったにもかかわらず、それではカメラに顔が映らないと、カメラマンから「もっと顔を上げろ」と言われたそうで、
気持ちに反することだったため、何度やっても顔を上げることができず、さらに、セリフを言う声も、どんどん細くなっていき、結局、声を録ることもできなくなるなど、かなり苦労したそうですが、完成した作品を見ても、いいのか悪いのかさえも、分からなかったのだそうです。