1923年、一大決心をして「マキノ映画製作所」に入社すると、当初は一介の斬られ役も、1924年の「怪傑鷹」では、これまでにない見目麗しい敵役でたちまち脚光を浴び、続く「燃ゆる渦巻」ではスーパースター尾上松之助を圧倒した、阪東妻三郎(ばんどう つまさぶろう)さん。この後、バンツマの快進撃が始まります。
「阪東妻三郎の若い頃はマキノのもと燃ゆる渦巻でブレイク!」からの続き
主演映画「鮮血の手型 前後篇」が映画界に衝撃を与える
映画「燃ゆる渦巻」(全4篇)で、途中から主人公にとって変わるほどの人気を博した阪東さんですが、ちょうどこの頃、同じ下宿に住む、映画「怪傑鷹」の原作者で脚本家の寿々喜多呂九平(すすきた ろくへい)さんと意気投合。
1923年には、寿々喜多さんが阪東さんのために、「鮮血の手型 前後篇」の脚本を書き下ろしてくれ、ついに、阪東さんはこの映画で初の主演に。
すると、これまでの歌舞伎のスタイルを模倣する旧劇とは異なる、阪東さんの激しい剣戟(けんげき)とリアルな演出は、映画界に革命的な衝撃を与えます。
「鮮血の手型 前後篇」より。
豪快でリアルな中に優雅さのある殺陣
というのも、当時の映画は、尾上松之助さんを筆頭に「人を斬ってはいちいち目をむいて見得を斬る」という、歌舞伎のモノマネに過ぎなかったのですが、
阪東さんの殺陣は、腰を落として上目遣いで相手をにらみ、斬った後は素早く次の敵に向かって身構える等、豪快でリアル、それでいて歌舞伎の優雅さも取り入れていたため、その斬新さに、多くの人々が絶賛したのです。
(阪東さんは、従来の歌舞伎を模倣したスタイルではなく、映画独自の殺陣を模索していた牧野省三さんに共鳴したと言われています)
また、阪東さんは、そういった外見的なことだけではなく、これまで旧劇で描かれていたような単純明快な(常に強くて正しい)ヒーローではなく、血の通った人間像を表現することにも成功。
以降、
「恐怖の夜叉」(1924年)
「討たるる者」(1924年)
「江戸怪賊伝 影法師 前後篇」(1925年)
「墓石が鼾する頃」(1925年)
と、寿々喜多呂九平さんと組むと、時代劇俳優としての人気を不動のものとしたのでした。
「阪東妻三郎プロダクション」設立~「雄呂血」が大ヒット
これらの成功で全国に熱狂的なファンが増えた阪東さんは、1925年6月(阪東さん23歳)には、独立して京都の太秦(うずまさ)に「阪東妻三郎プロダクション」を設立すると、
牧野省三さんを製作総指揮、寿々喜多呂九平さんを脚本、「快傑鷹」(1924年)の二川文太郎さんを監督に迎え、映画「雄呂血(おろち)」の製作を開始。
そして、同年11月、映画が封切られると、クライマックスの大立ち回りでは、27分間という長丁場を、同じテを二度使うことなく展開するという鬼気迫るもので、
それまでの悠長な歌舞伎調の立ち回りを完全に破壊した、激しく動き回る殺陣がたちまち大評判となり、映画は大ヒットを記録したのでした。
「雄呂血」より。
「乱闘劇のバンツマ」と一世風靡
ちなみに、この大立ち回りは、脚本では、たった一行「半鐘乱打、大立ち回り」と書いてあっただけにもかかわらず、十手、捕縄、六尺棒、熊手、さすまたなどのありとあらゆる捕り物道具を駆使して、瓦投げ、眼つぶしなどの様々なシーンが組み込まれ、
ラストシーンの、眼つぶしで平三郎(阪東さん)の眼がくらむシーンでは、幻覚感を出すため、「フラッシュ・バック」風に黒コマを間に繋ぐなどのテクニックを使い、
高いところから撮影するときには、(クレーンなどがない時代だっため)トラックの荷台に足場を組んでその上から撮影するなど、これまでの剣戟(けんげき)映画の様相を一変させたそうで、
この大胆な殺陣で、阪東さんは、「乱闘劇のバンツマ」として一世を風靡したのでした。
「雄呂血」より。
体制に反逆する主人公が人々を熱狂させる
ところで、この「雄呂血」、当初、「無頼漢」というタイトルだったものが、検閲でクレームがつき、「雄呂血」に改称させられたほか、おびただしいシーンがカットされたそうです。
(※検閲とは、国家など公の機関が思想内容や表現を強権的に取り調べることで、当時の「表現の自由」は、あくまで法律の範囲内でのみ許されていました)
というのも、この作品は、主人公が、体制に反逆する虚無的な英雄だったほか、
世に無頼漢と称する者、そは天地に愧じぬ正義を理想とする若者にその汚名を着せ、明日を知れぬ流転の人生へと突き落とす、支配勢力・制度の悪ならずや
という字幕など、社会的メッセージが強かった為なのですが、
逆にそのことが、当時の大正デモクラシーの風潮にマッチし、多くの観客の共感を呼んだことも、ヒットにつながったのでした。
(※大正デモクラシーとは、日本で1910年代から1920年代にかけて起こった、政治・社会・文化の各方面における民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称)
「阪東妻三郎は甲高い声だった?トーキーで低迷も日活で復活!」に続く