夫・勝新太郎さんの生前中のみならず、他界された後もたびたび、勝さんへの一途な想いを口にされている、中村玉緒(なかむら たまお)さんですが、今回は、そんな中村さんと勝さんの間に誕生した2人のお子さんについてご紹介します。

「中村玉緒もさすがに切なかった勝新太郎の行動とは?」からの続き

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娘は奥村真粧美

中村さんは、勝新太郎さんとの間に、男の子と女の子を一人ずつ出産されているのですが、

まず、1962年に誕生した、長女の奥村真粧美さんは、1980年、「警視-K」で、お父さんの勝新太郎さんと親子共演を果たされるなど、女優として活動されるも、

現在は、女優としての活動はされておらず、お母さんである中村さんのマネージャー的なお仕事をされているそうです。


奥村真粧美さん。

また、、「スピードワゴン」井戸田潤さんによると、中村さん真粧美さん親子は、とにかく話が長く、話が長引いた結果、仕事に遅刻したこともあったそうで、

玉緒さんとさんまさんは仲がいいから、「ちょっと、さんまさんからも言ってもらえませんか?」って言ったら、さんまさんが「あかんねん。あの2人の前では、俺も黙る」って言ったんですよ。「怖っ」って思って。

中華を食いに行ったんですって、さんまさんと玉緒さんファミリーで。それで、さんまさんが水ギョーザ食べようと思ったら、ワーッてしゃべりかけられて、「水ギョーザがカピカピになった」って言ってましたよ。あのビチョビチョの水ギョーザが。

と、あの明石家さんまさんさえも、中村親子のマシンガントークにはお手上げなのだそうです。

ちなみに、真粧美さんは、一度結婚されたことがあったそうですが、その後、離婚し、現在はフリーだと言われています。(お子さんはいらっしゃらないようです)

息子は鴈龍

そして、1964年に誕生した、長男の鴈龍(がんりゅう)さんは、お父さんの勝さんから大変かわいがられて育ったそうで、そのせいか、無垢で穏やかな人柄で、

勝さんが設立された「勝プロダクション」の関係者、その倒産後に中村さんが設立された「勝プロモーション」の関係者ともに、「たけちゃん」(本名は、奥村雄大(おくむら たけひろ)であることから)と呼ばれ、かわいがられていたそうです。


鴈龍さん。

そんな鴈龍さんは、1989年、本名の「奥村雄大」名義で、勝さんが監督を務められた映画「座頭市」の悪党・五右衛門一家の親分役でデビューされたのですが・・・

(新人らしからぬ大役も、鴈龍さんの人柄が良かったため、やっかむ声はなかったそうで、また、勝さんの指導も良かったのか、演技も、スタッフ一同がうなるほど、良かったそうです)

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鴈龍は俳優として芽が出ず

この映画の撮影中、鴈龍さんが使っていた日本刀が、なんと、模造刀から真剣に入れ替わっていたそうで、鴈龍さんは、そのことを知らずに、斬られ役の男性の首を刺してしまい、その人は死亡。

鴈龍さんは、「業務上過失致死」の疑いで警察の事情聴取を受けると、捜査や裁判によって、鴈龍さんに真剣をもたせたのは、「迫力を出したい」と考えた時代劇経験のない助監督だったことが判明するのですが、以降、鴈龍さんは、5年間も謹慎処分に。

その後、1994年、映画「不知火検校」で復帰するも、その後は、ポツポツと映画やテレビドラマに出演されたものの、お母さんである中村さんが出演する2時間ドラマの助演が仕事の中心だったようで、仕事に恵まれているとは言い難い状況だったようです。

「中村玉緒の息子鴈龍が死去!直前に絶縁を言い渡していた!」に続く

(左から)赤ちゃんの頃の鴈龍さん、中村さん、勝新太郎さん。

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