弟・勝新太郎さんの代表作である「座頭市シリーズ」の「続・座頭市物語」「座頭市千両首」では、兄弟ならではの息ピッタリの見事な殺陣を披露されている、若山富三郎(わかやまとみさぶろう)さん。今回は、そんな若山さんと勝さんのエピソードをご紹介します。
「若山富三郎は柳沢慎吾に遠山の金さんの撮影で激怒していた?」からの続き
弟・勝新太郎との上下関係は若山が絶対的に上だった
若山さんの弟は、あの時代劇スター・勝新太郎さんですが、勝さんの付き人をしていた、なべおさみさんによると、
1960年になべさんが勝邸で住み込みの付き人を始めた時、勝さんはすでに若手スターとして活躍していたそうですが、若山さんを「お兄ちゃん」と呼び、若山さんも勝さんを「利夫(勝さんの本名)」と呼んでいたそうで、
勝さんがいくら、映画スターになろうとも、お二人の間の上下関係は、お兄さんである若山さんが絶対的に上だったそうです。
弟・勝新太郎との兄弟仲は良好だった
ただ、兄弟仲は非常に良かったそうで、「続・座頭市物語」(1962)では、若山さんが、勝さん演じる主人公・市のお兄さん役を演じ、
「座頭市千両首」(1964)では、一転、若山さんが、極悪非道の市(勝さん)の敵役・仙場十四郎役を演じられると、兄弟同士、息のピッタリあった迫力ある殺陣を披露されています。
「座頭市千両首」より。若山さん(当時は城健三朗)と勝新太郎さん(右)。
弟・勝新太郎とそっくりだったことから揶揄されていた
そして、お二人は、まるで双子のように容姿が似ていたほか、人から借金することが得意(?)だったり、取り巻きを大勢連れ回したがる親分肌だったりと、性格・言動・プライベートもとても似ていたそうですが、
それだけに、若山さんは、「大映」時代には、すでにスターだった勝さんと比べられ、
二人も勝新太郎は要らない
愚兄賢弟
と、揶揄されたこともあったそうです。
若山さん(左)と勝新太郎さん(右)。
後年は弟・勝新太郎と立場が逆転
ただ、若山さんは、撮影の2時間ほど前には楽屋入りし、撮影前の台本チェックなど事前準備を怠らず、
出る映画はすべて最後の作品と思って演る
がモットーなほど真剣に仕事に取り組まれていたこともあり、
(そのため、時代劇で衣装の着方が分からないと口にした役者を、3メートルくらい投げ飛ばしたこともあったとか)
当初は、不遇な時代が続くも、後年には、「東映」で一躍スターとしての地位を確立すると、数々の映画賞を受賞し、名優の評価をほしいままにされています。
一方、勝さんは、デビュー時からスター候補生として活躍する天才肌だったためか、台本をあまり読んでこず、遅刻も多かったそうで、当初はトントン拍子も、後年には不祥事が相次ぐようになり、若山さんと立場が逆転。
それでも、兄弟仲は、終生変わらず良かったそうで、ある時、勝さんがある若い役者の演技を叱ろうとした時、その役者が、
若山先生の言われた通りにしたんですけど…
と、言うと、
あぁそう、お兄ちゃんがそう言ったの
と、一転。機嫌がよくなり、叱るのをやめたことがあったそうで、
演出やプロデュースでは自分が上だが、演技力はお兄ちゃんに敵わない
と、勝さんは、若山さんの演技力を絶賛されており、
若山さんも、勝さんが大麻所持で逮捕された際、マスコミの前では、勝さんを厳しく非難するも、その後、執行猶予付きの判決が出ると、「よかった、よかった」と涙を流して喜ばれたそうで、とても弟想いのお兄さんだったようです。
弟・勝新太郎より型破りな性格だった
ところで、一般的には、弟の勝さんの方が破天荒なイメージがありますが、若山さんは、勝さんを上回る、型破りな人だったそうで、
芸能リポーターの石川敏男さんが、
例えば京都の町中の靴屋さんにいい靴があると、「これ、もろていくで~」って、勝手に持って帰っちゃう。たまったツケは全部、勝さんが払っていた
と、証言しているほか、
若山さんの息子・若山騎一郎さんの著書「不器用に生きた男 わが父 若山富三郎」でも、
娘の佳代子さん(騎一郎さんの姉)が不良に絡まれた時、叔父の勝さんが一人で飛び込んで、助けたそうですが、その後、勝さんが若山さんに、
お兄ちゃん、佳代子はこのままじゃいけないよ
と、電話を入れると、
そうか。じゃあ、佳代子をヤクザのところで修行させるか
と、おっしゃったとのことで、若山さんの破天荒さは、勝さんでも敵わなかったそうです(笑)
若山さん(左)と勝新太郎さん(右)。