お母さんの佐久間良子さんに、医者になると言って、アメリカに留学するも、コロンビア大学大学院を中退し、帰国して不動産投資会社でサラリーマンをしていた、平岳大(ひら たけひろ)さんですが、お父さんの平幹二朗さんの舞台を見て、俳優デビューを決意し、両親の出演する舞台「鹿鳴館」で役者デビューが決まると、さすがに、佐久間さんは激怒したといいます。
「平岳大は父親・平幹二朗の舞台を観て役者になる決意をしていた!」からの続き
舞台「鹿鳴館」で影山久雄役に抜擢
27歳の時、お父さんの平幹二朗さんの舞台を観て、俳優になる決意をし、幹二朗さんに相談した平さんですが、実は、幹二朗さんによると、平さんから俳優になりたいという話を聞く前の週、たまたま、幹二朗さんが出席するパーティーに平さんを呼んでいたそうで、その際、平さんを見た、舞台「鹿鳴館」のプロデューサーが、「探していた息子の久雄役を見つけた」と、喜んでいたのだそうです。
ただ、その時は、プロデューサーが、平さんが会社員であることを知って、その話は立ち消えてしまっていたのですが、幹二朗さんが、その事を思い出し、翌日、プロデューサーに電話をすると、運良くまだ役は決まっておらず、平さんは、両親演じる影山伯爵夫婦の息子・久雄役に抜擢されたのだそうです。
舞台「鹿鳴館」でデビューが決まるも母・佐久間良子は激怒していた
こうして、平さんは、2002年、両親が離婚後初めて共演することになった舞台「鹿鳴館」で、両親演じる影山伯爵夫婦の息子・久雄役で、俳優デビューが決まったのですが・・・
このことに、お母さんの佐久間良子さんは、
私は絶対に許しません。出るのなら降ります
と、激怒。
そのため、平さんは、プロデューサーから、
出るのはいいけど、お母さんを説得しろ
と、言われたそうで、
平さんは、お母さんのところに行って、
どうしてもやりたいんです
と、説得に行ったそうですが、何回行っても、お母さんは許してくれず、毎回、大ゲンカをして帰ってくる、という毎日だったそうです。
そんな日を繰り返すうち、やがて、舞台は動き出し、稽古初日になり、そして、本番を迎えたのですが、本番中でさえも、お母さんは目を合わせてくれず、舞台が終わった後も、1年間くらいは口をきいてくれなかったそうで、
その間、ずっと、
だまされた、だまされた
と、言われ続けたのだそうです。
(お父さんの平幹二朗さんは、平さんの味方をしてくれたそうですが、お母さんを説得することまでは出来なかったそうです)
現在は母・佐久間良子も平岳大を役者として認めている
こうして、お母さんの佐久間良子さんは、平さんのデビュー記者会見でも、
(元夫の)平幹二朗が水面下で進めた!
と、息子の輝かしいデビューにも関わらず、怒りを爆発させていたのですが、
佐久間さんによると、実は、心の中では、
でも見事にやってのけてくれた。その時に「もう何も言うまい」と思いました
と、すでに、息子の役者魂を認められていたそうで、
普通、新人であの役をやるのは難しいですし、三島(由紀夫)さんの書かれた美しい言葉ってなかなかハッキリとしたセリフで言いにくいのですが。それを見事に演じてからは、今日に至るまで私は何も言いません
演技の素人だった岳大が、キャリアを積んだ俳優でも難しいような役を、見事に演じきったことには、ただただ驚きました。その頃から一貫して、私から俳優の仕事について何か助言したことはありません。
昨年の大河ドラマ「真田丸」の武田勝頼役などは素晴らしかったですが、まあ「お好きにどうぞ」というのが素直な気持ちでしょうか(笑)。善意の助言でも、女優の母親に口を出されたら嫌でしょうからね。
と、現在では応援されているようです。
初舞台「鹿鳴館」では緊張していた
ちなみに、当の平さんはというと、初舞台で見事な演技を見せたとはいえ、
「鹿鳴館」という舞台でデビューしたんですけど、もう舞台の上ですっごい変な汗が出てきて。やるなんて言わなきゃよかった、って(笑)
とくに舞台は客席がうっすら見えるじゃないですか。舞台稽古のときは余裕だなと思ったんです。本番でタタタタッと舞台にいったら、すーっごい人がいるじゃないですか!!なんだこれ!!って(笑)
と、とても緊張されていたとのことでした。
舞台「鹿鳴館」より。(左から)平さん、佐久間良子さん、平幹二朗さん。