1982年、アニメ雑誌「アニメージュ」「風の谷のナウシカ」の連載をスタートすると、徐々に読者の支持を集めていった、宮崎駿(みやざき はやお)さんは、「風の谷のナウシカ」の映画化も決定するのですが・・・

「宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は最初は連載漫画だった!」

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「風の谷のナウシカ」の作業は殺人的スケジュールだった

漫画連載から一年ほどで映画化の話が決まった「風の谷のナウシカ」ですが、制作期間は9ヶ月と短く、常に時間に追われることとなってしまったそうで、

「徳間書店」編集部の鈴木敏夫さんは、十分な資金と時間を用意したつもりだったそうですが、9ヶ月という期間は、全然足りなかったそうです。)

宮崎さんは、土日祝日も休みなしで、朝の9時から午前4時まで仕事し、ご飯を食べる時間さえももったいないと、アルミ弁当箱にギュウギュウに詰め込んだご飯を、右側がお昼ごはん、左側が夜ごはんとお箸で二つに切り分け、それぞれ5分ほどでかき込み、その時間以外は、ずっと机の前で仕事をしているという状態だったそうです。

(鈴木さんはというと、最初のうちこそ付き合っていたそうですが、次第についていけなくなったそうです)

「風の谷のナウシカ」はラスト付近の変更を余儀なくされていた

ただ、これだけ働いても時間は足りなかったそうで、ついに、宮崎さんは、「非常事態宣言」として、

誰よりも早く出社して、みんなが帰るまで仕事をするので、みんなにも付き合ってほしい

と、この状況をスタッフに説明し、頼まれたこともあったそうですが、

それでも、宮崎さんが理想とする「風の谷のナウシカ」を完成させるには時間が足りず、公開の直前になっても、スケジュールが遅れていたことから、宮崎さんは、スケジュールに間に合わせるため、絵コンテを大幅に変更されたのだそうです。

(当初は、ラスト付近で、「巨神兵」と「王蟲(おうむ)」が戦闘し、「王蟲」が「巨神兵」に殺されるシーンを入れる予定だったそうですが、時間切れとなり変更されたそうです。)


「風の谷のナウシカ」のラストシーンは、ナウシカが黄金の麦畑を歩いていく美しい光景。

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映画「風の谷のナウシカ」はヒットも再び引退宣言

こうして、公開1週間前にようやく完成し、1984年3月に公開された「風の谷のナウシカ」は、苦労の甲斐あって、「ルパン三世 カリオストロの城」がテレビで繰り返し再放送されて人気を博していたことや、当時、エコロジーブームだったことも相まりヒット。

それまで、無名だった宮崎さんは、ついに、アニメーション作家として、広く知られることとなったのですが・・・

宮崎さんによると、クオリティの高い作品を作るため、監督としてスタッフに厳しいことを言わなければならなかったことに、苦痛を感じ続け、

何の喜びもないまま終わってしまった

そうで、

実際、相手の才能を否定することまで言ったこともあり、人間関係に摩擦が生じたそうで(制作中はその繰り返しだったそうです)、体力的、能力的、時間的にも限界を感じ、

もう、二度と(アニメーションは)作らない

と、再び、引退宣言をされたのでした。

(ちなみに、漫画連載は、映画制作などのために4度の中断期間をはさみながらも、その後も続けられ、「アニメージュ」1994年3月号で完結されています。)

「宮崎駿のデビューからのアニメ作品と受賞歴を画像で!」に続く

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