数多くのアニメ作品を世に送り出し、数々の受賞歴を持つ、宮崎駿(みやざき はやお)さんですが、30年前にアニメ化を熱望するも、原作者の許可が降りずに断念した作品を、2006年、長男の宮崎吾朗さんがアニメ化されています。今回は、その経緯についてご紹介します。
「宮崎駿のデビューからのアニメ作品と受賞歴を画像で!」からの続き
約30年前に「ゲド戦記」のアニメ化を熱望していた
1968年、アメリカで「ゲド戦記」というファンタジー小説が発表されているのですが、その数年後、日本で翻訳版が出版されると、当時、宮崎さんは、これにすっかりはまったそうで、
1980年代前半、宮崎さんとプロデューサーの鈴木敏夫さんは、「ゲド戦記」の映像化を企画したそうですが、原作者のアーシュラ・クローバー・ル・グウィンさんの許可が降りず、実現しなかったそうです。
「岩波少年文庫」から刊行されている「ゲド戦記」
(この「ゲド戦記」は、「ナルニア国物語」「指輪物語」と合わせて3大ファンタジーと呼ばれるようになり、当時、様々な人達が映像化しようとしており、宮崎さんもそのうちの一人だったそうです)
約30年後に原作者が宮崎駿にアニメ化を熱望
しかし、30年の月日を経た2003年、日本語版を翻訳した清水真砂子さんを通して、宮崎さんの作品を観たル・グウィンさんが、宮崎さんに映画化してほしいと言っている、との話が舞い込んできたそうで、
(というのも、ル・グウィンさんは、当初、宮崎作品はおろか、日本のアニメすら見たことがなかったことから、アニメ化の話を断られたそうですが、その後、「となりのトトロ」を見て、「ゲド戦記」を映像化するなら、宮崎さんに任せたいと思うようになったのだそうです)
この本(特に第3巻)をずっと繰り返し読んでいたという鈴木さんは、渡りに船とこの話に飛びつかれたのですが・・・
長男の宮崎吾朗を監督に推薦することに
宮崎さんはというと、当時、「ハウルの動く城」(2004年)の制作で頭がいっぱいだったうえ、自分が作りたいと思っていた頃から随分時間が経っていたことから、
今の自分にできるだろうか
と、悩まれたそうです。
そこで、鈴木さんは、宮崎さんの長男・宮崎吾朗さんを監督に推薦し、吾郎さんがル・グウィンさんに映像化の許諾をもらいに行くことになったのですが・・・
それを知った宮崎さんは、今度は、
監督は時間があるなら一枚でも多く絵を描くべきで、原作者へ許諾をもらいに行くのはプロデューサーの仕事だろう
と、言ったそうで、
鈴木さんは、ふと思いついて、
じゃあ宮さんと僕で行きましょう
と、提案。
すると、宮崎さんは、「えぇっ?」と動揺されたそうですが、鈴木さんは、「ファンなんだからいいでしょう」と説き伏せられたのだそうです(笑)
原作者ル・グウィンに息子が映像化する許可を取りに行く
こうして、宮崎さんと鈴木さんは、ル・グウィンさんに会いに行くのですが、ル・グウィンさんは、宮崎さんの息子の吾朗さんではなく、あくまで、宮﨑さんに映画化してほしいと希望されていたことから、
宮崎さんが、まず、自分に話をさせてほしいと、
本はいつも枕元に置いてある。片時も放したことがない。悩んだ時、困った時、何度読み返したことか。告白するが、自分の作ってきた作品は「ナウシカ」から「ハウル」に至るまですべて「ゲド戦記」の影響を受けている
作品を細部まで理解しているし、映画化するなら世界に自分をおいて他に誰もいないだろう
と、「ゲド戦記」への熱い思いを話し、
続けて、
この話が20年以上前にあったなら、自分はすぐにでも飛びついていたと思う。だが、自分はもう歳だ。そんな時、息子とそのスタッフがやりたいと言い出した。彼らが新しい魅力を引き出してくれるなら、それもいいかも知れない
息子がやるであろうスクリプトには自分が全責任を持つ。読んで駄目だったら、すぐにやめさせる
と、話されたのだそうです。
原作者ル・グウィンから3つの質問
すると、ル・グウィンさんは、
映画化されるのは第3巻が中心だと聞いていますが、登場するのはすでに年老いて中年になったゲドです。今のあなたにこそふさわしいのではありませんか
あなたは吾朗さん(宮崎さんの長男)が作るであろうスクリプトに対して全責任を持つと言いましたが、それはどういう意味ですか
駄目だったらやめさせるとはどういうことですか。今日、あなたは映像化の許諾を取りに来たのではないのですか
と、3つの質問をされたそうですが、
それを聞いた宮崎さんは、質問の意図が分からず、「俺、何かまずいこと言ったかな」と鈴木さんの方を見たそうで、
鈴木さんが、
全責任を持つというのは、つまりこの映画のプロデューサーをやるんですかって聞いているんです
と、宮崎さんに言うと、
宮崎さんは、突然、ル・グウィンさんの前にもかかわらず、
冗談じゃない! 親子で一本の映画に名前を並べるなんてみっともないことはできない
と、大きな声を出したのだそうです。
すると、今度は、逆に、アメリカ人であるル・グウィンさんが宮崎さんの発言を理解できず、鈴木さんは、どうなることかと思っていたそうですが、
同席していた、ル・グウィンさんの息子・テオさんが、
今夜は一緒に食事もしますし、大事な話は後でしませんか
と、その場をとりなしてくれて事なきを得たのだそうです。
(というのも、テオさんは、宮崎さんと鈴木さんがル・グウィンさんに交渉に行く前、日本に来てくれていたそうで、鈴木さんや宮崎さんの息子・吾朗さんといろいろな話をしていたこともあり、味方になってくれたそうです)
「ゲド戦記」のポスター画について熱弁を繰り広げていた
そして、その後、話の流れの中で、事前に送っていた、
- ポスターになっている吾朗さんが描いた竜と主人公・アレンが向き合った絵
- もう一つは宮崎さんが描いた第3巻のホートタウンの町の絵
の、2枚の絵についての話になったそうですが、
宮崎さんは、突然、吾朗さんの描いた絵を指して、
これは間違っていますよね
と、言い出すと、
次に自分の絵を指して、
これが正しいと思います
と、言い、
このポスターのように、竜とアレンが目を合わせているのはおかしいじゃないですか。そうでしょう、ル・グウィンさん
と、吾朗さんの描く絵がなぜ間違っているのかという説明をし始めたそうで、一体、何をしに行ったのか分からない状態になってしまったそうです(笑)
それでも、なんとかその場はやり過ごして、ル・グウィンさんと別れ、その夜の食事会で再び合流すると、最初は、この仕事とは関係ない話をしていたそうですが、やがて、テオさんに促されたル・グウィンさんが、しばらく沈黙した後、ル・グウィンさんの前に座っていた宮崎さんの手を取り、
吾朗さんにすべてを預けます
と、おっしゃったそうで、それを聞いた宮崎さんは、「うぅ…」と涙を流し、無事、長男の吾朗さんにより、「ゲド戦記」の映画化を実現することができたのだそうです♪
「宮崎駿と高畑勲の出会いは「東映動画」の労働組合だった!」に続く