「暴れん坊将軍」での徳川吉宗のほか、歴史上の人物をドラマ化した数多くの時代劇で主演を務め、正統派二枚目俳優としての地位を確立された、松平健(まつだいら けん)さんですが、2004年には、かねてより、舞台公演のフィナーレで披露していた「マツケンサンバ」がたちまち脚光を浴びます。今回は、この「マツケンサンバ」にまつわるエピソードを、松平さんのコメントを交えながらご紹介します。
「松平健のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
「マツケンサンバ」が大ヒット
2004年から2006年まで、「マツケンサンバ」旋風を巻き起こした松平さんですが、実は、この「マツケンサンバ」、とうの昔の1994年に作られ、公演の歌謡ショーの中で歌われていたほか、舞台版「暴れん坊将軍」が終わると必ず歌われていたのだそうです。
(1999年10月にCDが制作されるも、一般のレコード店には並ばず、松平さんの公演会場や通信販売のみでしか買えなかったそうです)
それが、2004年夏、舞台公演の終わりに、松平さんが華美な衣装をまとい、「マツケンサンバ」を熱唱しているところがマスコミの注目を浴び、評判となったそうで、同年7月7日、シングル「マツケンサンバII」をリリースすると、これが瞬く間にヒット。
松平さんは、同年末の「第55回NHK紅白歌合戦」と「第46回日本レコード大賞」にも出場を果たしたのでした。
そして、松平さんの出場シーンは、どちらも、出場したすべての男性歌手の中で、最も高い視聴率を記録したのでした。
「マツケンサンバ」がヒットした理由
ところで、この「マツケンサンバ」、松平さんによると、注目されるよりもかなり以前から、「マツケン音頭」や「マツケン小唄」などというものがあったそうで、そのうち、「マツケンサンバ I」ができ、1990年代中頃、「マツケンサンバII」となったそうですが、
それが、なぜ、10年も経ってブームになったのかについては、松平さん自身もよく分からないそうで、
時代劇の扮装をしているのにノリがいいこと、コスチュームに意外性があること、そのあたりが原因なのかもしれません。
と、おっしゃっていました。
また、
今までは、“将軍” とか “新さん” (「暴れん坊将軍」での役柄) と呼ばれていた僕が、突然 “マツケン” になったのですから、びっくりしましたけど(笑)。 そこは、一つ親しみの表現としてありがたく受け止めていました
と、長い間、二枚目で売っていただけに、当初は戸惑いもあったそうですが、すぐ、感謝するようになったとのことでした。
当初「マツケンサンバ」は和モノだった
また、「マツケンサンバ」は、当初、完全に和モノだったそうですが、歌あり踊りありの時代劇の舞台のフィナーレで、お試しとして、アップテンポの楽曲を取り込んでみようということになったそうで、
松平さんがアイディアを出し、日本舞踊の先生が振りを担当すると、アメリカ公演でハワイに行った際のハワイの空気感に合わせた洋風のエッセンスも取り入れ、完成となったとのことでした♪
加古川で「歩けマツケン!〜松平健の諸国漫遊」の収録
ところで、松平さんは、2019年から、地元ケーブルテレビ局スタッフに案内してもらいながら、日本各地のとっておきスポットを一緒に歩いて巡る、旅番組「歩けマツケン!〜松平健の諸国漫遊」(旅チャンネル)に出演されているのですが、
2020年11月17日には、加古川で収録されたそうで、加古川市出身・在住のタレント、スパイシー八木さんをゲストに迎えて、地元のとっておきのスポットや名産品を紹介するほか、松平さんが板前の腕前を披露するシーンがあったそうです。
ちなみに、松平さんは、かつてテレビドラマの収録で加古川を訪れたことがあったそうで、今回、再び訪れた加古川について、
のどかなところ、ほっとする
と、語っておられたとのことでした♪
「歩けマツケン!〜松平健の諸国漫遊」より。松平さん(左)とスパイシー八木さん(右)。