勝新太郎さんから誘われ、勝さんの事務所「勝プロダクション」に入ると、勝さんの付き人をしながら、様々なことを学んだという、松平健(まつだいら けん)さんですが、松平さんのスター性を見抜いた勝さんの助言に従い、脇役のオファーを断り続けた結果、生涯を代表する大役に抜擢されることになります。

「松平健の若い頃は勝新太郎の付き人だった!」からの続き

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「暴れん坊将軍」の主人公・徳川吉宗役に抜擢

師匠・勝新太郎さんの教えに従い、脇役でのオファーを断り続けるなど、俳優としての「格」を磨いていた松平さんですが、

1978年、23歳の時には、ついに、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」の主人公・江戸幕府八代将軍・徳川吉宗役に抜擢されると、当初(第1シリーズ)はそれほど視聴率は良くなかったものの、翌年の1979年、NHK大河ドラマ「草燃える」に出演し、一気に知名度が上がると、「暴れん坊将軍」も高視聴率を記録し、松平さんも、一躍、人気俳優としての地位を確立します。

そして、以降、「暴れん坊将軍」は2003年まで25年も続く人気シリーズとなっているのですが、

松平さんは、

始まることが決定したとき、プロデューサーの方は最低でも2年はやりたいとおっしゃってくださいました。でも、撮影所の中では「こんな作品、3ヶ月ともたない」という声が聞かれました(苦笑)。

軌道に乗ると、いつの間にかその声は消えていましたけど。それで今度は長く続いてくると、「同じ役ばかりやっていると役者としてダメになるぞ」という声が出始めた(笑)。

私自身は「そんなことはない」と思っていたので、気にも留めていませんでした。そういうことへの反発心がスタッフ・キャスト一同の結束を強めて、それがいい作品作りへつながり、結果として長く続くことになったのかもしれません

と、明かされています。


「暴れん坊将軍」より。

(「暴れん坊将軍」は、2003年でシリーズが終了した後も、2004年と2008年に単発のドラマスペシャルとして放送されているほか、2008年まで、放送回数は832回を超えるそうです)

「暴れん坊将軍」の魅力について

ところで、この「暴れん坊将軍」、松平さん演じる八代将軍徳川吉宗が、町火消「め組」に居候する貧乏旗本の三男坊・徳田新之助という仮の姿で江戸の人々と交流しながら、世にはびこる悪を斬っていくというヒーロー時代劇で、

松平さんは、

時代劇は、韓国のドラマともよく似ているところがあるんですよね。役割がはっきりしているからわかりやすい。ともに共通するのは、善人と悪人、善行と悪行がはっきりしていることでしょうね

と、語っておられるのですが、

気さくで誰とでもすぐに仲良くなれる徳田新之助という人物と、凛とした品格のある将軍・徳川吉宗という、全く別の人間を、松平さんが魅力的に演じ分けてこられたことも、長きに渡るヒットに貢献したことは間違いないでしょう。


「暴れん坊将軍」より。徳田新之助に扮する松平さん。

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勝新太郎のアドバイスに従い「暴れん坊将軍」の役作りをしていた

そんな松平さんは、徳田新之助と徳川吉宗というまったく異なる2役を演じるにあたり、

勝先生には「将軍をやるんだから、安いところで遊ぶ10回分をためて良いところに行って、そこに来ているお客さんを観察して勉強しろ」と言われましたね。演技に私生活が出る、とおっしゃるのです。

もともと、劇団にいた頃に、若駒という剣友会の手伝いもしたり、馬に乗る仕事もしていたので、そこはすんなりと入れました。一方で、新之助をやるときは話口調も庶民的に変えて、別人格を演じるような感じなので、まるで二役をやっているようで面白かったですね

と、勝新太郎さんのアドバイスに従って、役作りされたそうですが、

(勝新太郎さんが)主役しかやるな、というのは、仕事を選べという意味だったと思うのです。今はよかったと思っています

と、半信半疑ながら、勝新太郎さんの教えを忠実に守って実践した結果、ついに、実を結んだことを明かされており、

実際、松平さんは、「元禄繚乱」(1999年)では色部又四郎、「利家とまつ」(2002年)では柴田勝家、「義経」(2005年)では武蔵坊弁慶、「おんな城主 直虎」(2017)では武田信玄ほか、高杉晋作・斎藤道三・平清盛・大友宗麟・大石内蔵助・遠山景元・徳川家康など、歴史上の重要人物を数多く演じ、素晴らしい存在感を放たれています。

「松平健のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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