漫画家・石ノ森章太郎さんから、「矢切の渡し」を踊って欲しいと依頼されたことをきっかけに、役者から女形に転身し、ブレイクした、梅沢富美男(うめざわ とみお)さんですが、その後、この女形を足がかりに、テレビドラマ出演、シングル大ヒットと、さらなるブレイクを果たします。

「梅沢富美男が若い頃は女形でブレイクしていた!」からの続き

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「淋しいのはお前だけじゃない」で準主演

1976年、25歳の時に、漫画家・石ノ森章太郎さんから「矢切の渡し」を踊って欲しいと依頼されたことをきっかけに女形でブレイクし、お兄さんの武生さんと「劇団梅沢」の二枚看板となっていた梅沢さんですが、

1982年、31歳の時には、梅沢さんの舞台を観にきていたTBSのプロデューサー・高橋一郎さんから、テレビドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」のオファーを受けると、その役柄が、「大衆演劇の女形」ということで、

よし、一発勝負してやろう

と、出演を決意されます。

(梅沢さんは、それまで、テレビドラマには消極的だったそうです)


「淋しいのはお前だけじゃない」より。(左から)梅沢さん、木の実ナナさん、西田敏行さん。

(ちなみに、この「淋しいのはお前だけじゃない」は、市川森一さん脚本、西田敏行さん主演で、出演者も、木の実ナナさん、泉ピン子さん、財津一郎さん、橋爪功さんなど、そうそうたるメンバーが名を連ねているのですが、梅沢さんは、そんな中で準主役に選ばれたのでした。)

歌手デビューのオファーが舞い込む

すると、ドラマがヒットし、梅沢さんの知名度も一気に上がったことから、同年には、レコード会社から、歌手デビューのオファーが舞い込みます。

ただ、梅沢さんは、舞台上でしか歌いたくないと考えていたため、この時も、テレビドラマ同様、悩んだそうですが、当時、売れている俳優は、歌を出す風潮があったことから、なかなか断りづらく、無理難題を押し付けるしかないと、作曲家・小椋佳さんが楽曲を提供してくれるならと(断られること前提で)提案されたのだそうです。

(梅沢さんが小椋さんを指名したのは、梅沢さんが好きな「シクラメンのかほり」「愛燦燦」などを手掛けられたのが小椋さんだった為)

すると、ディレクターが、ちょうど、小椋さんが以前勤めていた第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)の後輩だったことから、その縁を頼りに小椋さんに頼み込んだところ、小椋さんがこれを了承。

梅沢さんは、「歌う羽目になってしまった」のでした(笑)

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デビューシングル「夢芝居」が大ヒット

こうして、梅沢さんは、1982年、「夢芝居」(小椋佳さん作詞作曲)でレコードデビューすると、たちまち50万枚を売り上げる大ヒット(その後も売れ続け、累計売上100万枚を達成)。


「夢芝居」

翌年の1983年には、「日本有線放送大賞新人賞」を受賞するほか、「NHK紅白歌合戦」初出場も果たし、梅沢さんは、一躍、スターの座に上り詰めたのでした。

「梅沢富美男はバイキングの不適切発言で謝罪していた!」に続く

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