子どもの頃、両親の離婚、家庭内暴力、学校でのイジメなど、壮絶な経験をされた河本準一(こうもと じゅんいち)さん。しかし、中学で後の相方となる井上聡さんと出会うと、高校卒業後、お笑い芸人を目指し、NSC(吉本総合芸能学院)に入学されています。


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プロフィール!

河本さんは、1975年4月7日生まれ、
岡山県津山市のご出身です。

身長162センチ、
体重58キロ、

血液型はAB型、

出身大学は、
岡山県立東岡山工業高等学校、

趣味は、
しつこいミニコント、
マイナーものまね、サッカー、

だそうです♪

両親の離婚、母親の再婚

河本さんは9歳の時、
会社を経営していたお父さんの不倫が原因で両親が離婚。

河本さんは、お母さんとともに、
お母さんの両親や叔母さんが住む、
岡山県津市に転居されたそうです。

やがてお母さんが再婚し、新しいお父さんと、
河本さんより1歳年下のお父さんの連れ子との、
4人の生活が始まるのですが・・・

DVに怯える日々、昼逃げするも・・・

新しいお父さんは、
普段は良い人だったそうですが、

お酒に酔うと人が変わり、
包丁を手にお母さんを追い回すように。

また、河本さんも、義弟とともに、
風呂場に頭から沈められたり、
段ボール箱に閉じ込められたりといった、
虐待を受け続けたのでした。

そして、ついに、小学校6年生の3学期、
親族の勧めでお母さんとともに、
昼逃げを敢行することに。

ただ、弟はお父さんの実子だったため、
連れて行くことができず、
弟にはそのことを言えなかったのですが、

弟も気づいていたようで、
何も言わずに荷造りを手伝ってくれたそうです。

そして、車に荷物を入れ、車に乗り込むと、
バックミラーに弟が見えたので、
振り返って何かひと言声をかけようとしたところ、
お母さんに「見るな!」と言われ、そのまま車は発進。

バックミラー越しに見える弟はみるみる小さくなり、
道路にへたり込むのが見えたそうです。

河本さんは後に、

この痛みはおれとオカン共通の、
一生消し去ることのできない鈍い痛みや。

と、おっしゃっています。

イジメ

こうして、義父の家庭内暴力からは、
逃れられた河本さんですが、

今度は、中学に入学すると、
イジメの対象となってしまいます。

ただ、イジメっ子から逃れる場を作るため、
バレーボール部に入られると、

バレーボール部に在籍していた、
番長格の不良少年に気に入られ、

イジメをやめるように、
他の少年達に命令してくれたそうで、
イジメられなくなったそうです。

井上聡との出会い

そして、中学2年生になると、
河本さんは、野球部に転部。

初めて練習に参加した日に、監督から、
キャッチボールするように言われると、

一人だけバットを持って、
フルスイングしていた少年を見つけたそうで、

河本さんから話しかけ、
一緒にキャッチボールしたそうですが、

その少年が、
後にコンビを組むことになる井上聡さんで、

それ以来、毎日一緒に遊ぶほど、
仲良くなられたのでした。

サッカーに挫折

ところで、河本さんは、運動神経は良かったものの、
勉強は苦手だったため、中学卒業後は、
高校進学を希望していなかったのですが、

お母さんのたっての希望もあり、
担任の先生が奔走してくれた結果、
なんとか、定員割れの高校に入学することに。

そして、高校入学後は、サッカー部に入部されると、
1年生の夏には、早くもレギュラーに抜擢。

河本さんは、国体(国民体育大会)の、
岡山県選抜メンバーに選ばれるほどの、
活躍を見せたのですが、

2年生の秋、県大会でシュートに失敗し、
そのことを先輩に責められたそうで、

これをきっかけに、
サッカーへの情熱を失ってしまい、
サッカー部を退部されたのでした。

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お笑い芸人を目指す

その後、河本さんは、テレビ番組、
「素人名人会」を観て出場を思い立ち、

同じサッカー部でクラスメイトだった、
山下正人さんを誘って、漫才の練習の末、出場すると、

初出場ながら、見事、
「敢闘賞」を受賞。

そして、高校卒業を目前に、
吉本総合芸能学院(NSC)のパンフレットを目にすると、

別の高校に進学し、
就職が決まりかけていた井上さんに、

吉本に入ろう!
(ファンの)ジャッキー・チェンに会えるで!!

と誘い、山下さんとともに3人で出願。

結果、3人とも見事合格し、3人はNSCに入学するため、
大阪へ転居することとなったのでした。

「~baseよしもとブーム~結婚~次長課長でブレイク~」に続く

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