小学生の時には読書だけで漢字を覚え、中学生の時にはお兄さんに借りて読んだ本で物理をマスターし、高校生の時には辞書なしで英語の本を読むなど、天才的な頭脳の持ち主だったという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんは、東京大学理科II類にも、特に受験勉強をすることなく現役で合格したといいます。

「ムツゴロウ(畑正憲)の少年時代が天才すぎる!」からの続き

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東京大学理科II類に現役で合格

数学、英語、国語、物理ほか全教科を、学校で教わることなく、独学(主に読書)で習得したというムツゴロウさんは、東京大学理科II類に現役で合格しているのですが、

ムツゴロウさんは、

東大の試験も、よもや落ちるなんて考えてもいなかったしね。僕は予備校とか塾なんて通ったこともないし、教科書なんて1時間くらいかけて読んだら、もう内容を覚えているんですよ。勉強するまでもない。

と、語っています。

両親は東大医学部に進学することを希望していた

そんなムツゴロウさんは、実は、両親からは、医者になるよううるさく言われ、医学部に入るよう言われていたそうですが、

この頃、動物の生態に強い興味を抱いていたというムツゴロウさんは、医者になる気など毛頭なく(就職する気も全然なかったそうです)、やりたいことを、ただ、やりたいから、という理由で、理科II類を選択していたそうで、

当時、東大の理科II類では、生物学、医学、地学を勉強することになっており、そこから、医学部に行くこともできたことから、そう言って親を説得し、理科II類に進学したのだそうです。

父親には常陸宮正仁親王からの記念品を渡して東大大学院に進学することを許してもらう

ただ、いよいよ東大を卒業する頃になると、ムツゴロウさんは、東大大学院に進学したかったことから、医学部に行く気がないことを両親に打ち明けなければならなかったそうですが、

そんな中、ピジョンミルクの研究で東大の研究室に出入りしていた常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう)と知り合うと、いろいろ話すうちに仲良くなり、1959年、美智子さん(現在は上皇后)が結婚する時には、記念品までもらったそうで、

(中を開けると、大きな紅白の落雁(らくがん)と、桐の箱にたばこが千本ほど入っていたそうですが、その1本ずつに、菊の御紋が刻まれていたそうです)

そのまま、夜行列車に乗って、お父さんのもとに駆けつけ、記念品を手渡すと、お父さんは感激のあまり泣き出してしまったそうで、このタイミングで、ムツゴロウさんが、東大医学部には行かず東大大学院に進学することを打ち明けると、お父さんは許してくれたのだそうです(笑)

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文学が諦められず東大大学院の研究室を飛び出していた

その後、ムツゴロウさんは、東大大学院理学系研究科修士課程に進学し、アメーバや生物の研究に没頭したそうですが、どうしても文学が諦められなかったそうで、

(東大大学院時代の後半は、研究室を個人で一部屋もらっていたそうですが、机の上には、原稿用紙を置くほど、文学にものめり込んでいたそうです)

研究者としても半人前で、書き手に至っては、何者にすらなっていない自分の状態に、「自分はなんて中途半端な男なんだ」という葛藤が常につきまとい、自殺を考えるほど精神的に追い詰められ、

(なぜ、研究者として半人前かと言うと、アメーバーを観察したら、本来はそこからデータを抽出して論文を書かなくてはいけないそうですが、ムツゴロウさんはというと、アメーバーの様子に夢中になって論文を書くどころではなくなってしまい、そもそもの目的を見失ってしまうのだそうです)

突如、研究室も家も飛び出してしまったのだそうです。

(そのため、ムツゴロウさんは、いまだに、書類上、東大大学院を修了か未終了か分からないのだそうです)

「ムツゴロウ(畑正憲)は昔「学研」の社長に手紙を書いて就職していた!」に続く

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