高校2年生の時、成蹊学園時代の恩師から、「俳優座」の俳優養成所を受験することを勧められ、俳優養成所に入所された、長山藍子(ながやま あいこ)さんは、俳優養成所を卒業後は、石井ふく子さんのプロデュース作品に多く出演することになります。

「長山藍子は高2の時に「俳優座」の俳優養成所に合格していた!」からの続き

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東芝日曜劇場「女と味噌汁」で人気を博す

成蹊学園時代の恩師に勧められて、「俳優座」の俳優養成所を受験し、見事合格した長山さんは、1963年、22歳の時には、俳優養成所を卒業し、2期生と3期生の卒業生が設立した「劇団新人会」に参加し、「オッペケペ」で舞台デビュー。

また、「劇団新人会」でプロデューサーの石井ふく子さんに出会うと、同年、石井さんのプロデュース作品である、東芝日曜劇場「愛する」でテレビドラマデビュー。

そして、1965年には、同じく、石井さんのプロデュース作品である、東芝日曜劇場「女と味噌汁」で、池内淳子さん、山岡久乃さんとともに、主人公の一人・小桃役を演じると、ドラマは15年も続く人気シリーズとなり、長山さんは、ドラマの人気に大きく貢献されています。


「女と味噌汁」より。(左から)池内淳子さん、久松保夫さん、結城美栄子さん、長山さん。

山岡久乃と池内淳子は親友

ちなみに、長山さんは、「女と味噌汁」で共演された、池内さんと山岡さんとは、プライベートでもとても仲が良かったそうで、

山岡さんは、

藍子はばかだけど、そこがかわいい。芝居ができなかったら私は我慢できないけど、芝居ができるからいいわよ

と、とてもかわいがってくれたそうです。

そんな山岡さんは、1999年、「胆管ガンによる心不全」のため他界されているのですが、長山さんは、山岡さんの最期を、山岡さんの親族とともに看取られたそうで、

最期の時、山岡さんは、

藍子、そばにいて

ありがとう

と、言ってくれたのだそうです。

また、もう一人の親友である池内さんも、2010年に「肺腺ガン」で他界されているのですが、長山さんは、山岡さんの時と同様、池内さんの最期を、池内さんの親族とともに看取られたほか、お別れ会では、世話人、友人代表を務められており、お二人との絆の深さが伺えます。

山本學らと「第二次劇団新人会」を設立

さて、テレビドラマ「女と味噌汁」でお茶の間に広く知られるようになった長山さんは、1967年には、「花の宴」で映画デビューも果たし、その後も、テレビドラマや映画に出演されているのですが、

その一方で、1969年7月に「劇団新人会」が解散すると、1970年3月には、前田昌明さん、山本學さんらと、「第二次劇団新人会」(1994年に「劇団朋友」に名称変更)を設立。

1999年には、「劇団朋友」公演舞台「わがババわがママ奮斗記」で、「文化庁芸術祭演劇部門大賞」を受賞するなど、テレビドラマや映画だけでなく、舞台活動も続けられています。

(「劇団朋友」は、2007年に退団されています)

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「渡る世間は鬼ばかり」ほか石井ふく子プロデュース作品に多数出演

そんな長山さんは、1990年から2011年まで、石井ふく子さんプロデュースのテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で岡倉家の5人姉妹の長女・野田弥生役を演じられると、お茶の間に広く知られることになり、

その後も、

1991年「源氏物語 上の巻・下の巻」
1993年「家族の物語」
1994年「女の言い分」
1995年「もういちど家族」

など、石井ふく子さんのプロデュース作品に出演されています。

「長山藍子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

「渡る世間は鬼ばかり(第1シリーズ)」より。(前列左から)えなりかずきさん、藤岡琢也さん、泉ピン子さん、(後列左から)前田吟さん、三田村邦彦さん、山岡久乃さん、長山さん。

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