新聞記者だったお父さんの赴任地・中国内モンゴル・フフホトで誕生すると、終戦後は、命からがら帰国したという、長山藍子(ながやま あいこ)さんですが、やがて、芝居が好きだったお父さんの影響で、女優を目指すようになります。

「長山藍子はモンゴル生まれ!幼少期は北朝鮮に疎開も!」からの続き

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幼少期から読書が好きだった

長山さんは、両親が記者で本に囲まれて暮らしていたことから、幼少期から本を読むことが好きな子どもだったそうで、小学生の時から国語の成績は良かったそうですが、

その一方で、お父さんがお芝居が好きだったことから、しょっちゅう、歌舞伎、新国劇、新派などの舞台を観に連れて行ってもらったそうです(お父さんは新聞記者だったため、よく招待券をもらっていたそうです)。

(まだ幼かった長山さんは、お芝居のことはよく分からずに観ていたそうですが、戦後の食べ物のない時代で、お弁当が出ることがうれしく、いつも、お弁当目当てにお父さんについて行っていたのだそうです。)

中2の時に父親が急死

そんな長山さんは、小学4年生の時には、成蹊学園(小~大学まで一貫校)を受験すると、見事合格。

(この頃すでに女優を目指されていたようで)成蹊学園では、演劇部に入部するほか、国語の成績が良かったことから、国語の松田先生に目をかけてもらえるなど、充実した学校生活を送られていたそうですが・・・

長山さんが中学2年生の時、お父さんが45歳という若さで突然他界。

そのため、長山さん一家は、東京から熱海に引っ越し、叔母さんの家に身を寄せることになったそうで、長山さんは、高校は静岡県の県立女学校に通うことになったのでした。

(叔母さんは美容室を経営されており、お母さんはその美容室を手伝っていたそうです)

成蹊学園時代の恩師の勧めで「俳優座」の俳優養成所を受験

そんな中、成蹊学園時代の恩師・松田先生から連絡があり、

もし大学に行くかどうか迷っているなら、「俳優座」に俳優養成所がありますよ

と、教えてもらったそうで、

長山さんは、高校2年生の春休み、軽い気持ちで、フラッと試験を受けに行くと、受験会場には、レオタードやタイツ、バレエシューズでばっちり決めて試験に臨む、本格的に役者を目指す人ばかり。

一方、長山さんはというと、ウーリーナイロンの水着に素足という、いたって普通の女の子の格好で、歌の審査でも、アリアを歌う人がいる中、長山さんは、童謡「月見草の花」を歌ったのだそうです。

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「俳優座」の俳優養成所に合格

そして、最終面接の時には、養成所の主事の先生に、

まだ高校2年生でしょ。もし合格しても、ちゃんと卒業してからいらっしゃいね

と、言われたそうで、

長山さんは、

出来が悪くて落とされるなら仕方がないけれど、2年生だからっていう理由で落とされるのは、いやです!

と、言ったそうですが、なぜか、見事合格。

こうして、長山さんは、それから1年後、高校卒業後に「俳優座」の俳優養成所に12期生として入所されたのでした。

ちなみに、長山さんは、後に、合格した理由について、

理由は「白かったから」。これから絵を描くキャンバスのような、白さが評価されたみたいで。

と、聞いたことを明かされています。

「長山藍子が若い頃は「女と味噌汁」(東芝日曜劇場)で人気を博していた!」に続く

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