1957年に「女が事件にからむ時」で映画デビューして以来、類まれな美貌で世界中の人々を虜にしてきた、アラン・ドロン(Alain Delon)さんですが、ついに、2017年、引退を発表します。今回は、そんなドロンさんの近況について調べてみました。

「アラン・ドロンの長女は女優!次男も俳優!」からの続き

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引退を発表

ドロンさんは、2017年5月9日、AFPの取材に対し、

この歳だし、ここまで俳優としてやってこれたし、もう終わりにする。(中略)人生の終わりではないが、キャリアの終わりだ

と、映画と舞台にそれぞれ1本ずつ出演した後で引退することをコメントしています。

ただ、ドロンさんは、2000年にも、一度、引退し、2008年、映画「アステリックスと仲間たち オリンピック大奮闘」のユリウス・カエサル役で復帰すると、

考えを変えないのは愚か者だけだ

と、コメントしていることから、今回の引退は本物だと強調しています(笑)

最終(引退)作品

そして、最終(引退)作品は、パトリス・ルコント監督の作品で、

ドロンさんは、

脚本はほぼ仕上がっている。素晴らしいラブ・ストーリーだ。題名はまだついていないが、役は私自身にかなり近い

私くらいの歳の、少し気分屋で、気難しく、怒りっぽい男が、人生の最後に愛を見つける物語

と、明かしていたのですが・・・

2018年11月にはこの企画の中止が発表され、事実上、ドロンさんの最後の作品は、前述の「アステリックスと仲間たち オリンピック大奮闘」となっています。

(中止となった具体的な理由は明かされていません)

カンヌ国際映画祭で「名誉パルムドール(Honorary Palme d’or)」を受賞

そんなドロンさんは、2019年5月30日(83歳)、映画界への長年の功績が讃えられ、「第72回カンヌ国際映画祭」「名誉パルムドール(Honorary Palme d’or)」を受賞しているのですが、


「第72回カンヌ国際映画祭」で「名誉パルムドール」を授賞されたドロンさん。

授賞式では、娘のアヌーシュカさんからトロフィーを受け取り、会場から割れんばかりの拍手を受けると、

スターになれたのは皆さんのおかげだ

女性の前でこんなふうに泣いたことはない

と、感極まって涙を流されています。

(ちなみに、ドロンさんは、1963年、「カンヌ国際映画祭」の最高賞である「パルムドール」に輝いた、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「山猫」などに出演していますが、同映画祭での個人の受賞はこれが初めてだったそうです)

レッドカーペットで観客にも引退を表明

 
また、ドロンさんは、授賞式で、娘・アヌーシュカさんとレッドカーペットを歩いているのですが、そんなドロンさんの姿を一目見ようと、会場付近のカンヌの路上は、多くの人でごった返したそうで、

ドロンさんが登場し、あちこちから歓声と拍手が沸き起こると、

ドロンさんは、集まった人々に向かって、

これで本当の引退、アデュー(さようなら)!

と、言いながら、感極まり、目に涙を浮かべていたとのことでした。

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脳卒中を起こしていた

ところで、「名誉パルムドール(Honorary Palme d’or)」受賞から3ヶ月も経たない、2019年8月8日、ドロンさんの長男のアントニーさんが、ドロンさんが数週間前に脳卒中を起こしていたことをAFPに明かしています。

アントニーさんによると、ドロンさんは、パリの病院で手術を受け、集中治療室に3週間入院し、退院後は、スイスで療養されているそうで、幸い、ドロンさんの容態は安定しているとのことでした。

(スイスに住む、娘・アヌーシュカさんが看病に当たっているそうです)

さて、いかがでしたでしょうか。

アラン・ドロンさんの、

  • 年齢は?出身は?身長は?本名は?
  • 幼少期は両親が離婚し母親からも継父からも邪魔者扱いされていた
  • 中学中退後は家業を継ぐため肉屋で修業
  • 海軍へ入隊するもクビになる
  • 帰国後はヒモでチンピラのような暮らし
  • 交際相手の女優ブリジッド・オーベールにカンヌに連れて行かれる
  • ハリウッドの一流エージェントにスカウトされるも断っていた
  • 「女が事件にからむ時」で映画デビュー
  • 俳優になっていなければ売春婦のヒモだった?
  • デビュー後は立て続けに映画に出演
  • 映画「太陽がいっぱい」で大ブレイク
  • 自身が主人公を演じるべきと監督に直談判していた
  • 「カフェ・ド・フロール」や「レ・ドゥ・マゴ」で自身の容姿の美しさを自覚
  • 「若者のすべて」「山猫」「サムライ」などで人気絶頂も・・・
  • ボディガードが死体で発見され犯人扱いされる(マルコヴィッチ事件)
  • ボディガードのマルコヴィッチが開いた乱交パーティーには大統領も?
  • 私生活を連想させる作品に次々と出演
  • 「シシリアン」「ボルサリーノ」なども大ヒット
  • 映画「ショック療法」ではオールヌードを披露
  • ハリウッドに進出しなかった理由とは?
  • 日本で爆発的な人気を誇っていた
  • 男性用香水「SAMOURAI」「SHOGUN」などプロデュース作品が人気
  • 「日本では自分が美しい男の理想型」と豪語
  • 来日時には黒柳徹子を口説く寸劇を真剣にしていた
  • アラン・ドロンが来日時は濃紺のスーツにこだわっていた
  • 濃紺は「藍染」(真剣で惑いのない色)
  • 「ダーバン」のCMに11年に渡って出演
  • 映画「レッド・サン」で三船敏郎と共演していた
  • アラン・ドロンが出演した「ダーバン」のCMが大ヒット
  • アラン・ドロンは「三船プロダクション」の10周年記念パーティーの為に来日していた
  • 出演作品(映画)
  • 出演作品(テレビドラマ)
  • 受賞歴
  • 「高校教師」では落ちぶれた教師役も
  • 女優ロミー・シュナイダーとはお互い第一印象は最悪だった
  • ロミー・シュナイダーと婚約を発表
  • ロミー・シュナイダーと破局
  • ロミー・シュナイダーとの破局理由は?
  • アラン・ドロンはロミー・シュナイダーの継父から嫌がらせを受けていた
  • アラン・ドロンがロミー・シュナイダーの葬儀を手配していた
  • アラン・ドロンとの別離後ロミー・シュナイダーは不運続きだった
  • ナタリー・ドロンとの馴れ初め
  • ナタリー・ドロンと結婚
  • ナタリー・ドロンとの離婚理由はナタリーの女優継続?
  • ナタリー・ドロンとの離婚理由はナタリーの不倫?
  • 離婚後も良好な関係だった
  • ミレーユ・ダルクとの馴れ初め
  • スペインへ行く飛行機の中で再会していた
  • 再び偶然出会いミレーユ・ダルクから電話
  • ミレーユ・ダルクと交際を開始
  • ミレーユ・ダルクが二人の新居を建てる
  • ミレーユ・ダルクに映画「ジェフ」のヒロイン役を勧める
  • アンヌ・パリローに心変わりしミレーユ・ダルクと破局
  • ミレーユ・ダルクのアラン・ドロンへの変わらぬ想い
  • アラン・ドロンはミレーユ・ダルクの最期を看取っていた
  • オランダ人モデル、ロザリー・ファン・ブレーメンとは子供誕生も結婚せぬまま破局
  • 最初の子供(息子)は認知せず?
  • 息子(長男)はアントニー・ドロン
  • 息子(長男)アントニーとの関係についてコメント
  • 娘(長女)は女優、息子(次男)も俳優
  • 次男アラン・ファビアンは発砲事件を起こしていた
  • 自身の幼少期と同様のことを自身の子供にも繰り返していた
  • 引退を発表
  • 最終(引退)作品
  • カンヌ国際映画祭で「名誉パルムドール(Honorary Palme d’or)」を受賞
  • レッドカーペットで観客にも引退を表明
  • 脳卒中を起こしていた

について、調べてみました。

悲嘆に暮れ、孤独な時、私は一人で話しながら、私の腕の中で死んだ母を呼ぶのです。「どうして、私をあんな風にしか愛せなかったのか?どうして、私は見捨てられた孤独な子供だったのか?」と。

それと同時に、もしも私にこの不幸な幼少時代がなかったなら、この私になることは出来なかったと思うのです。

私は継続的な幸福というものを信じません。子供が誕生し、家庭の中で育っていくのを見ながら、私は大変強い幸福の瞬間を経験しましたが、幸福が激しければ激しいほど後の悲しみは一層増します。

私は幸福には「縁のない」人間なのです。幸福ではなく、成功には縁がありましたが。両方一緒には上手くいかないものです。

と、語っていたドロンさん。

ドロンさんの自宅を訪ねた記者は、

ドロンのような人生を送った人間は、過去を懐かしまずにはいられないだろう。とはいえ、彼が感じているノスタルジーは普通のレベルを超えている。

パリのオスマン通りにある事務所は、それこそ、アラン・ドロンのアーカイブの倉庫といってもいい。壁やテーブルはもちろん、部屋のちょっとした空間にもアラン・ドロンの写真がところ狭しと並ぶ。

ところどころに、愛犬やロミー・シュナイダーやルキノ・ヴィスコンティ監督のスナップが飾られ、マリリン・モンローのヌード写真や女優エドヴィージュ・フィエールとド・ゴール派の重鎮だったジャック・シャバン=デルマス(ルネ・クレマン監督の1966年の映画『パリは燃えているか』でドロンが演じた政治家)も混じっている。

彼は、片手をさっと横に動かしながら、「アラン・ドロンがここにいるよ」と言う。「僕は美男子だ。君、これを見たまえ。僕は本当に、なんてハンサムだったんだろう。これは『若者のすべて』で、こっちは『太陽がいっぱい』だ。18歳から50歳までの僕に世界中の女性が夢中だったよ」

と、ドロンさんの自己愛ぶりに驚いたと語っているのですが、

どれだけたくさんの人に囲まれていても、幼少期の孤独で辛い体験から、本当の意味で人(特に女性)を信頼することができず、だからこそ、その影の部分が、世紀の大スター「アラン・ドロン」を作ったのかもしれません。

現在は体の具合が心配されますが、また、近々、元気な姿を見せてほしいものです。

「アラン・ドロンの生い立ちは?幼少期は両親が離婚し邪魔者扱いされていた!」

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