どちらかというとバラエティのイメージが強い、大竹まこと(おおたけ まこと)さんですが、若い頃は、「俳優小劇場付属養成所」に入所すると、ほどなくして、風間杜夫さんや後に「シティボーイズ」を結成することになる、斉木しげるさん、きたろうさんらと、劇団「表現劇場」を結成していたといいます。

「大竹まことの生い立ちは?弟は双子(一卵性双生児)!」からの続き

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「俳優小劇場付属養成所」に入所

受験勉強中には、聴いていた深夜ラジオ番組「パックインミュージック」(1967年)の司会者・野沢那智さんと白石冬美さんに憧れ、ラジオのDJになることを夢見るようになったという大竹さんですが、大学受験は、青山学院大学を受験するも不合格に。

そこで、大竹さんは、18歳の時、家を出てアルバイト生活を始めると(その後の詳しい経緯は不明)、やがて、俳優を目指すようになったそうで、1971年、22歳の時には、「俳優小劇場付属養成所」に入所したそうです。

風間杜夫らと劇団「表現劇場」を結成

すると、「俳優小劇場付属養成所」では、同じ頃に入所した、斉木しげるさんときたろうさんと出会い、意気投合したそうで、

同年秋、劇団の幹部の間で内紛が起こったことをきっかけに、直談判して費用を返金してもらうと、その返金してもらったお金をもとに、斉木さんときたろうさんのほか、風間杜夫さん、岡本麗さんらと、劇団「表現劇場」を結成し、小劇場を中心に演劇活動を始めたそうです。

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劇団「表現劇場」は3年持たずに解散

しかし、「表現劇場」は、演出家も作家もいない役者ばかりの集団だったため、やりたいことの方向性がみなバラバラでまとまりがつかず、それでも、話し合いながら公演を何度か打ったそうですが、活動は思わしくなく、2年過ぎる頃には、メンバーの方向性の違いが顕著に表れ、3年もしないうちに解散となってしまいます。

ちなみに、この頃、大竹さんたちは、お金がなかったことから、劇団の集会所として借りていたアパートの一室(8畳)に、斉木さんと風間さんの3人で同居すると、マヨネーズだけをかけたご飯で飢えをしのぎ、アルバイトで日銭を稼ぐ毎日を送っていたそうですが、

メンバーだった風間杜夫さんは、

当時、アルバイトで仮面ライダーショーをやっていて、地方を回っていたんですよ。着ぐるみを身に着けて子供たちの前でショーを見せるんですが、僕がライダー、斉木がショッカー(敵役)の親分、きたろうがその部下をやって。

大竹は着ぐるみが大嫌いで、しかも彼は要領がいいから、マイクを使って会場の子供たちに「今日はお前たちの中の一人をさらっていくから覚悟しろ!ヒッヒッヒ」などと言って脅かすという、一番楽な仕事をやっていた。

と、明かしています(笑)

「大竹まことは若い頃に「シティボーイズ」を結成していた!」に続く

1972年の稽古現場より。

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