「俳優小劇場付属養成所」で内紛が起こったことをきっかけに、斉木しげるさん、きたろうさん、風間杜夫さんら劇団仲間と劇団「表現劇場」を結成するも、3年待たずに解散してしまった、大竹まこと(おおたけ まこと)さんですが、実は、当時の演劇に退屈を感じていたといいます。

「大竹まことは昔風間杜夫らと共に劇団「表現劇場」を結成していた!」からの続き

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斉木しげる、きたろうとコントユニット「シティボーイズ」を結成

貧乏でも、気の合う仲間との生活は、それなりに楽しいものながら、既成の演劇につまらなさを感じていた大竹さんは、「表現劇場」解散後は、役者活動に身を入れることもなく、ぶらぶらと過ごしていたそうですが、

ある時、大竹さんが、斉木しげるさんが働いている喫茶店を訪ねて行くと(斉木さんは、生活のため喫茶店の雇われ店長をしていたそうです)、

きたろうと一緒にコントやろう

と、誘われたそうで、

1979年、30歳の時、斉木さん、きたろうさんとともに、コントユニット「シティボーイズ」を結成します。

舞台公演「シティーボーイズ・ショー」には竹中直人も参加していた

すると、「シティボーイズ」は、1981年には、オーディション番組「お笑いスター誕生!!」で、見事10週勝ち抜いてグランプリを獲得するなど、一躍、知名度を上げ、各方面から引っ張りだことなって、以降、定期的にコントを上演。

1983年からは、舞台公演「シティーボーイズ・ショー」を上演すると、放送作家(当時)の宮沢章夫さんや、俳優の竹中直人さん、中村有志さん、いとうせいこうさんらも参加し、1985年には、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成するなど、1980年代のサブカルチャーシーンに大きな影響を与えたのでした。


「シティボーイズ」より。(左から)大竹さん、斉木しげるさん、きたろうさん。

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ヒモ生活を送っていた

ちなみに、大竹さんは、「シティボーイズ」を結成した頃、女性と同棲していたそうですが、彼女のために料理を作り、お風呂を沸かして彼女の帰りを待ち、お小遣いをもらっていたほか、同時に6人と付き合い、1人から千円ずつもらうなど、ヒモ生活を送っていたそうで、

当時の生活について、

若い頃は本当にバカでね、社会をナメていた。女にもモテたしなぁ。就職もしない、大学も行かない。フラフラと生きて、26、27歳で役者のアンダーグラウンドにいたけど、つぶしが利かず居場所がなくなるんだよね。

そのうち(劇団仲間の)風間杜夫が食えるようになって。俺はと言うと、きたろうと斉木と新宿のデパートの屋上でコントやって。その足で風間の『蒲田行進曲』(風間さん主演のつかこうへい監督映画)を見て、黙って帰った記憶がある。

どんどん置いていかれて。ダメだなあと。1度仕事を受けたら続くものだけど本当に続かなかった

と、語っています。

(苦楽を共にした風間杜夫さんは、「表現劇場」が解散した後は、演出家のつかこうへいさんに見初められて、つか作品の常連俳優となっており、大竹さんたちよりも一足早く売れっ子になっていました)

「大竹まことは若い頃山瀬まみと生放送中に大ゲンカし大暴れしていた!」に続く

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