芸者のお母さんのもと、婚外子として誕生すると、高校生の時には、お母さんが俳優の伊志井寛さんと結婚し、3人家族となった、石井ふく子(いしい ふくこ)さんですが、やがて戦争が始まると、生活が大きく変わっていきます。

「石井ふく子の幼少期は踊りに夢中だった!義父は俳優の伊志井寛!」からの続き

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戦争で悲惨な体験をする

高校生の時、お母さんが俳優の伊志井寛さんと結婚し、3人で暮らすようになった石井さんですが、やがて戦争が始まると、学徒動員で錦糸町の工場で働くことになり、そこで忘れられない体験をされたそうです。

それは、ある日のこと、本来ならば、副班長だった石井さんは、隊列の先頭を歩くことになっていたのですが、事情があり、遅れてしまったことから、最後尾について歩いていたところ、

突然、機銃掃射に襲われ、石井さんの代わりに先頭を歩いていた班長が撃たれて亡くなったというのです。

石井さんは、後に、

一度は失った命、その方の分まで生きないとと思いました

と、悲しみをこらえながら語っておられます。

空襲で家が焼け落ち知人の家を転々

そんな中、石井さんは、両親とともに3人で山形に疎開すると、山形では、代用教員をしたり、町役場などで働かれていたそうですが、

石井さんが19歳の時、終戦を伝える玉音放送を聞き、一家で帰京すると、家は空襲で焼け落ちてしまっていたそうです。

そこで、仕方なく、親戚や知人を頼って短期間だけ居候させてもらうという生活を続けられたそうで、なんと、半年間で11回もの引っ越しを繰り返されたのだそうです。

俳優・長谷川一夫の家に居候する

しかし、そんなある日のこと、義父の伊志井さんが、友人で俳優の長谷川一夫さんに新宿で偶然再会されたそうで、

長谷川さんから、

あんちゃん、どうしたの

と、尋ねられ、

(長谷川さんは、伊志井さんを「あんちゃん」と呼んで慕っていたそうです)

伊志井さんが、

実は家がなくてウロウロしてんだ

と、事情を話すと、

長谷川さんは、

今、代々木八幡にとても広い家を借りて住んでいるんだけど(中略)よかったら来てください。にぎやかで楽しいですよ

と、自宅に来るよう勧めてくれたそうで、石井さんらは一家で長谷川さん宅に居候させてもらうことに。

すると、石井さんは、長谷川さんの姪・裕見子さん(船越英一郎さんのお母さん)姉妹と一緒の部屋を使わせてもらったそうですが、

裕見子さんは長谷川さんの劇団に所属されていたことから、お給料を必ず3分の1、分けてくれるなど、本当の妹のように思いやってくれたそうで、石井さんは、それ以来、片時も裕見子さんの優しさを忘れたことはないそうです。

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映画スター長谷川一夫のコネで新東宝から女優デビュー

また、その後、ようやく生活が落ち着き、石井さんは就職先を探し始めたそうですが、なかなか働き口が見つからずにいると、

またも、長谷川さんから、

新東宝でニューフェイスを募集している、給料ももらえるから受けてみなさい、推薦しておく。

と勧められたそうで、「新東宝」を受験すると、大スターだった長谷川さんの強力なコネのおかげで、見事合格。

石井さんは、1947年、長谷川さん主演の「大江戸の鬼」でスクリーンデビューを果されたのでした。

「石井ふく子は昔TBSのスポンサー日本電建の社員だった!」に続く

「大江戸の鬼」

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